さて、どうする?

二児の父が考えた子育て方針の備忘録。父親目線で育児について気づいた事を書いてます。

幼稚園の授業参観に初潜入〜甘えさせても子は育つ〜

ということで、長女(3歳)の幼稚園の授業参観に初めて行ったので感想を書いてみます。

 

なお、長女は家ではかなりのパパっ子で、私が家にいる時はほとんど私にくっついています。フロもトイレも食事もとにかく生活の全てにおいてです。たまに一人でコッソリと他の部屋に行くと「パパどこー?パパー(/ _ ; )」てな感じです。なぜかママが居なくなってもこういう反応はしません。パパとして冥利に尽きるのですが、これはこれで心配ですね。

 

まあそんなわけで、私が授業参観に行ったら抱っこやらなんやらせがまれて授業どころじゃないのでは!?と内心かなり不安でした。

 

が、そんな心配は無用でしたヽ(´▽`)/

 

幼稚園では父が見ていることなど殆ど気にもせず、しっかり先生を見て、指示された通りに楽しそうに身体を動かしていました。

授業の最初と最後に先生から親に挨拶するように促されて初めて、こちらを見て手を振ってくれました。なんというか、家にいるのと本当に同一人物か!?と思うほどちゃんとしていてビックリでした。

 

いつも甘えさせてばかりなので幼稚園でちゃんと活動出来ているのか心配でしたが、大丈夫でした。やったねヽ(´▽`)/

 

私の子育て方針としては、抱っこやおんぶを要求されたら極力応じるようにしています。別に甘やかしのつもりではなく、親子の濃密なコミニュケーションと考えているからです。まだ3歳なのでしつけよりも、親と子の信頼関係を築くのが最優先と考えています。

副作用としては、子供としても抱っこやおんぶは望めば当然やってもらえるものと認識している事です。抱っこが出来ない状況(荷物で手が塞がっているなど)でも要求されてしまうので、断ると機嫌が悪くなり最悪の場合は泣いて動かなくなってしまいます。泣き叫ぶ子を無理やり担ぎ上げるので、ハトヤCM状態です。

 

ハトヤCM。16秒辺り参照。

 

その場合は「よーし競争だ!」と言って小走りすればキャッキャと走って付いて来るのです。ふふふ、単純なやつめ。

 

まあ、そんな事もあり、授業放ったらかしで抱っこを要求されたらどうしよう!?とビクビクしていましたが杞憂に終わって良かった!

 

普段はベッタリでも幼稚園ではちゃんと一人で出来ている事が確認出来たので、今後も思う存分ベタベタしようと思います。ヤッホイ。

 

褒めるも叱るもタイミングが大事

私の経験に基づくただの自論なのですが、小さい子供を褒めたり叱ったりする際にはタイミングが大事だなぁ、と最近考えています。ここでいう「小さい子供」とは大体3歳くらいまでの想定です。

 

子供が何か良いまたは悪いことをした場合、その場で間を空けずにすぐに褒めるor叱ります。そして、その場限りでスパッと終わらせる。過ぎた事をしつこく褒めたり叱り続けないようにしています。たとえ子供が理解してないとしても、理解出来るまで延々と理由を説明したりはしません。無理にごめんなさいと言わせる事も無いです。

 

3歳頃だとまだ因果関係が理解出来ないようです。もしかしたら他のご家庭では異なるかもしれませんが、少なくとも我が家の長女はそうです。

我が家でも大変参考にしているNHK「すくすく子育て」によると、因果関係や事の経過が理解出来るのは5歳頃からとのことです。リンクを貼りますが、0歳から5歳までの年齢別の上手な叱り方が記載されており、とても分かりやすいので是非ご参照下さい。

きちんと伝わる叱り方とは?~年齢別叱り方のポイント~ | 子育てに役立つ情報満載【すくコム】 | NHKエデュケーショナル

 

いつまでも過去の事をしつこく言われても、3歳程度の脳では一体何に対して言われているのか理解出来ません。特に叱られた場合は、子供の立場では理由もなく怒られているだけになるので最悪です。

 

たまに見かけるのですが、子供を叱る際に「ごめんなさいって言いなさい!」としつこく謝罪を強制する親がいます。子供は訳も分からずにひたすら号泣しているにも関わらずです。素直に謝れる子に育てるため、子供の為を思っての事と思いますが、これは悪手でしょう。

子供は何故怒られているのか理解出来てないのに、親からは「ごめんなさいしろ!」との強制ばかり。仮に謝ったとしても、それが一体何になるのか?理由もなく怒られたという恐怖感が身につくだけだと思います。子供が可哀想なのでやめたほうが宜しいかと。

 

叱るのはともかく、褒めるのは続けても良いんじゃないの?と思われるかも知れません。しかし、過去の行動を褒められても何を褒められているのか理解出来ないので「何故か知らないけど無償で褒められている」状態になります。子供にとっては居心地の良い状態と思いますが…

そうするとその状態を守るために次の行動が抑制されてしまうのではないか、と危惧しています。何か余計な事をすると逆に叱られる可能性がありますからね。保身に走って何もしない子に育つと困ります。

 

また、あまり過去を褒め過ぎると「じゃあ今はダメなの?」と間逆のメッセージとして受け取られるかも知れません。まあ3歳ではそこまで裏を読まないと思いますが…

 

実際、うちの娘に「あの時は偉かったねぇ」と言って過去(と言っても昨日とか)の事を褒めてナデナデしても全くピンと来ていないようです。ただなんの理由もなく褒められているだけに見えたので、褒めすぎも危険だなと思った次第です。

 

なお、4歳以上の子育ては私には未知の領域ですが、因果関係や時間軸を理解出来る年齢になると話が変わってきます。行動の良し悪しについて理屈で理解出来るようになると、過去を振り返っての反省が可能になり、褒められる事が自信になるでしょう。そうなる事が今から楽しみです。

 

まとめ

・褒めるも叱るもその場ですぐにズバッと!

・そしてスパッと止める。いつまでも引きずらない。

・ごめんなさいを引き出す必要は無し。

Done is better than perfect.

3歳の娘に文字、数字の書き方を教えていますが、なかなか上手く出来なくて困ってます(´;ω;`)

 

書き方ドリルの最初の方は簡単なもので、鉛筆でただ真っ直ぐな線を引くだけなのですが、ご覧の通りグニャグニャです。

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エンピツの持ち方も不安定ですし、そもそもあまり乗り気では無いようでテレビをチラチラ見ながらやってます。ただ線を引くだけなので面白く無いのでしょうが…

 

そりゃまあ最初は上手くできなくて当然と思ってますよ。書き方なんて小学校に入るまでには誰でも出来るでしょうから、焦る必要なんか無いと… そう、焦る必要なんかない。きっとそのうち上達するさ…

 

と思いつつも、目の前には上手く出来ない娘…

 

何度かミスを繰り返すうちに、ついついこう言ってしまったのです。

「真っ直ぐに引けて無いね〜、もう一回やってみようか?」

「テレビ見ないで集中してやろうね〜」

 

言い方としては優しく言ってはいますが、いわゆるダメ出しをしてしまいました( ̄▽ ̄;)

娘が取り組んだ結果が「正解」ではないからやり直せと指示してしまった。つまり努力の過程ではなく、結果のみを見て叱ってしまったのです。

後で振り返ると、テレビが気になりながらも一応は取り組んでいる姿勢を褒めてあげるべきだったかな〜と後悔しました(´;ω;`)

 

次第に娘は、線を一本引くたびに「これで合ってる?」と親に確認するようになってしまいました。

 

これはいかん…

 

最初から上手くやろうとするのではなく、間違えながらも書くことに慣れていくのが目的なのに、ついつい親が「正解」に誘導してしまった…

完全に私の忍耐力不足でした。このままでは書き方の練習は「親に注意されないように線を引く作業」になってしまう!

 

まずはグチャグチャでも良いから、出来るだけ自分の力でドリルを最後まで終わらせよう。

ドリルを進めても、どうしても慣れない事があるようなら、その時に初めて注意ではなくアドバイスをしよう。

 

下手でもまずは自力で終わらせる事が大事。

Done is better than perfect.

 

同じ過ちをしないようにこの反省をブログに書き残しておきます。

 

火のないところに煙は立たないが、その火は信じて良いのか?という話

根拠の無い噂話が広まった時に「火のないところに煙は立たない」と良く言われます。

噂話に対して「根拠は分からないけど、きっと何かしらの理由やキッカケがあってこの様な噂が出るのだろう」と考える。身も蓋もない言い方をすると、何も考えずに噂話を受け入れる際に自分を誤魔化すための方便みたいなものではないでしょうか。

 

たとえば、TVやインターネットなどで「経営者の〇〇さんは社員を怒鳴り散らすなど性格が悪いらしい」とか「芸能人の××さんは金に意地汚いらしい」というような特定の個人を対象とした噂話が散見されます。一応それらしい理由も書いてはありますが、第三者の感想であることが多く事実に基づいたものかどうか不明で、まさに「信じるかどうかはあなた次第」となります。この場合、全く根拠が無いので冷静に考えたら信じるに値しない情報のはずです。

しかし、人間は「意外性」というものに惹かれてしまうため「普段は真面目そうなあの人が噂通りだったら面白いなぁ」とか「儲かっているあの会社がブラック企業だったら面白いなぁ」などという期待が働き、その結果噂を肯定したくなり「火のないところに煙は立たない」の思考が発動してしまいます。またインターネットでは一度噂が立つと、確証バイアスにより結論ありきで噂を補完する様な情報が次々と出てきて、最初は噂話と認識していたものが無意識のうちに事実のように誤認しやすくなります。

 

確かに「火」(根拠、キッカケ)が無ければ「煙」(噂)が立たないのは、その通りだとは思います。しかし問題があるのは、その「火」が性善説に基づくことを無意識のうちに期待している場合です。つまり「噂」に色々と余計な尾ひれがついてはいるが少なくとも噂の発信元は事実なのだろうと無意識に信じている人が少なからずいるように思います。

 

でもそれはただの思い込みです。噂の発信元が正当であるかどうかなんて想像ではわかりません。もしかしたら恨みつらみや愉快犯的な理由により当人に不利になる真っ赤な嘘をばら撒いている可能性だってあるわけです。

 

そんなわけで、結論としてはシンプルというかごくごく当たり前の話になってしまいますが、、、

 

噂を信じちゃいけないよ by 山本リンダ

 

ということですね。

思春期に吉田戦車を読んだことで受けた影響について

吉田戦車氏(以下敬称略)という漫画家がいます。主に4コマ漫画、短編漫画の作家で、「伝染るんです」で有名です。もう20年以上前の作品ですが、カワウソ君は今でも現役かな?

 

↓手書きですみませんが、こういうキャラクターです。

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私は中学生頃からファンなのですが、私の人生というか考え方に結構な影響を与えています。最初に吉田戦車の漫画を読んだのは「伝染るんです」で、当時はいわゆる「シュール系」「不条理ギャグ」漫画の代表作のような扱いを受けていたと思います。確か「花金データランド」(←バブル期のランキング番組です。懐かしいな…)で「東大生が読んでいる漫画ベスト1」という称号を手にしていた記憶があります。
ちなみに当時の漫画事情ですが、ジャンプ黄金期の終盤頃だったかと思います。人気だったのは「SLUM DUNK」「幽遊白書」「ダイの大冒険」や、おなじみ「ドラゴンボール」等でした。「伝染るんです」を読んでいるというだけで性格のひねくれ具合がわかってしまいますね。

 

さて冒頭に「考え方に結構な影響を与えている」と書きましたが、一体なんでしょうか。

 

それは吉田戦車作品におけるギャグの展開方法です。ネタとしては「シュール系」の扱いを受けてましたが、実はとても論理的な展開方法が多いと個人的には認識しています。(なお、シュールとは三省堂さんによると「超現実的な、不条理な、奇抜な、難解な様子」のことだそうです。)

[三省堂辞書サイト]10分でわかる「シュール」 


吉田戦車のネタ作りは、現実にあるモノから法則を推論して正反対のモノや存在しないモノを生み出す、というパターンが多いです。〇〇があるなら△△もあって良いはずだ!という方法論を日常の細かい部分に適用して「ギャグ」という形で表現する、という事に面白さを感じるのです。

また普通の漫画では、生活感のあるリアルな汚い部分は見せず、表面上は綺麗に取り繕いがちですが、吉田戦車の場合は無駄に汚いリアルさをあえて見せる事でギャグを演出することが多いです。例えば男キャラには必ず汚めのヒゲ、スネ毛が生えてます。そこが隠し事のない清々しさを感じて好感が持てます。

 

そんな作品を思春期に読んだためなのか、私はテレビやインターネットなどで放送、掲載される意見に対して「他の状況だったらどうだろう?」「別の立場からはどう見えるだろう?」などと複数の視点で考えるようになり、また、耳触りの良い言葉ではなくリアルな本質を求める様になったのも、思春期に吉田戦車作品を見た影響が少なからずあったのでは無いかと考えています。(そんなに大げさなレベルの話ではありませんが)

 

さて、具体的には何が論理的でリアルなのか?分からないと思うので、ちょっと例を挙げてみました。キャプチャを貼り付けたいところですが、ここは説明文だけでガマンです。

 

・ひな人間(「感染るんです」より)

父「ひな人形じゃつまらんだろうと思ってひな人間を買ってきたよ。」

娘「ひな人間!!」

ひな人形ならぬひな人間。「人〜間〜」と言いながら人の家でソーセージをオカズに飯を食い、ガムを噛みながら女性セブンをよむ。つまり子供のためを思って買ってきたものが、ただ迷惑な大人2名を連れてきただけ、という話。人形じゃなくて人間だったら嫌だよね、というネタですが、ソーセージで飯を食うとか女性セブンを読む辺りでリアルさを出す事で、ひな人間の「嫌さ」を演出しています。当然のようにお内裏さまには小汚いヒゲが生えてます。

 

・半地下鉄(「ぷりぷり県」より)

通称ハンチカ。車両が半分だけ地表に出ている地下鉄。一般の車が走る路面に、電車が半分むき出しの状態であるため、通行の妨げになっている。

主人公ツトムの出身県であるぷりぷり県を走る半地下鉄。地上に電車、地下に地下鉄なら、半分だけ地面に埋まった「半地下鉄」があってもよいはずだ!という帰納的思考(と言ってよいのか?)から生まれた、吉田戦車の基本とも言える発想。「ぷりぷり県」にはこの発想から成るネタが豊富です。本領発揮とも言える本書は、氏の最高傑作と評価する人も多いです。

 

ちなみに、300年後の24世紀にはぷりぷり新幹線「めまい」が開業予定だそうです。なんと、地下で東京、京阪神と繋げるという壮大な計画。ぷりぷり県がどこにあるかは不明ですが、そりゃ24世紀までかかるよね…めまいもするわ…

なお、線路に金がかかり過ぎるためなのか、車幅が通常の1/4しかなくシートは縦1列のみ。県民には期待されているが、多分採算は取れないと思われます。

 

 ・紫信号(「ぷりぷり県」より)

赤から青に変わる直前のうれしくてたまらぬ一瞬に笑う余裕すらないのか…東京砂漠!

ぷりぷり県では赤(止まれ)→紫(笑え)→青(進め)を意味する紫信号。青信号に変わる嬉しさを「紫信号」で表しているようです。これも半地下鉄と同様の発想です。

…青信号ってそんなに嬉しいか?

 

ファミコンづうしん(「はまり道」より)

「ああ、恥かしい。私は「ファミコン通信」のことを水ぼうそう、でっち奉公、米どころのように濁点をつけて「ファミコンづうしん」と読むとばかり思っていたのです!」

「…そりゃ恥かしいね」

いわゆる日本語の「連濁」を無理やり適用した例ですが、類似例がなんで「水ぼうそう」「丁稚奉公」「米どころ」やねん!というのがいかにも吉田戦車らしさ。

ちなみに「はまり道」はファミコン通信(現ファミ通)という雑誌に連載されていた四コマ漫画です。元ゲーマーの私としては、ゲームを題材にしたこの作品が一番好きですね。ウィザードリィの忍者が素っ裸でちんこ出していたのがリアルで特に好きでした。(注: RPGウィザードリィ」の職業の一つである「忍者」は装備品を一切身につけない方が強い、という特徴からのネタ。リアルにそのまま描くのは吉田戦車くらいでは?)

その他、マリオが裸に白衣を着ているド変態だったり、カービィが剣で敵を惨殺しまくるキチ〇イキャラだったり、「ゼルダの伝説」のリンクさんの苗字が「リンクさ」で名前が「ん」だったり、基本的に任天堂キャラがヒドイ扱いを受けている稀有なゲーム漫画です。

 

 

…うん、吉田戦車の面白さを言葉で説明するのは私には無理だ( ;∀;) 興味ある人は単行本買って読んで下さい。一冊だけ読むと??で終わる可能性があるので、出来れば複数冊を読んで見て下さい。合う人はハマると思います。

インターネットでよく見る「中の人」という言葉の元ネタである「下の人などいない!」もこの作品に掲載されています。

 

伝染(うつ)るんです。 (1) (小学館文庫)

伝染(うつ)るんです。 (1) (小学館文庫)

 

 

あ、あと余談ですが、LINEの伝染るんですスタンプがあまりにもマニアック過ぎて使えません…カワウソ君、カッパ君、斎藤さん、しいたけ、みたいなメジャーなキャラだけ出せば良いのに、半分くらいが名も無いおっさん、じいさん、中学生の絵柄なので知らない人が見ても意味がわからないです。小学館には改善希望です。

 

だいぶとっ散らかったエントリーになってしまいました。吉田戦車についてはまだいくらでも書けますが、長くなったのでここまで。

 

将来なりたい職業を聞くのはアリなのか?

子供の頃は誰でも親や親戚から「将来何になりたいの?」と聞かれるものです。

もちろん私も多分に漏れずその質問をされていました。小学校低学年頃までは「電車の運転手」と答え、高学年になると「技術者」になりました。

大人からは「オー、スゴイネー。ベンキョーシナクチャネー。ガンバッテネー」という反応が返ってくるのですが、どんな内容が返ってきても私は少し不快な気分になりました。自分の夢に対して他人に評価されているようで嫌だったのです。それがたとえポジティブな評価だったとしても…

 

そもそもこの質問。基本的に子供のためではありません。親の立場としては子供が何に興味があるかを確認して安心したい。親戚などその他の人達は単なる興味本位でしょう。

例えば、「花屋さん」とか「ケーキ屋さん」とか「警察官」など、誰でもわかるいわゆる普通の職業を期待しているように感じます。

「サラリーマン」とか「公務員」のよう現実的な、いかにもレールに乗っかった様な答えだった場合、内心では「夢がない奴だ」なんて思われているかも知れません。

 それならまだしも、「ベンチャー経営者」、「投資家」、「ユーチューバー」のようなよく分からないモノを言われた場合は否定されてしまうかも知れません。楽して稼ごうとするんじゃない!的な。

子供の立場としては、せっかく夢を持って答えたのに否定されてはたまりません。子供心に「他人に言われたくねーよ」と思うでしょう。

 

もし私が自分の子供達にこの質問をして、意外な答えが返ってきた時に、自分がどう反応してしまうかわかりません(例えば「葬儀屋」になりたいと言われたら?立派な職業ではありますが…)。どんなに気を付けていてもネガティヴな反応をしないという自信はありません。言葉に出さなくても、表情を隠すことは難しいですからね。子供はそのような反応を見逃しません。それを「親からの拒否」と受け止めて、自分のやりたいことを変えてしまうかも知れません。特に子供が「良い子」の場合は危険です。

だから、下手に聞くのは怖い質問だなと思っています。

 

むしろ「何になりたいか」を聞くのではなく、「こんな職業もあるよ」ということを普段の生活の中で自然な形で教えてあげたいです。

世の中の全てのモノは、誰かが作ったものです。服や食べ物はもちろん、勝手に流れているテレビ番組やCM、100円ショップで売られてる意味不明な人形、食パンの袋を閉じる用のあまり効果のないクリップ、米粒より小さいビーズや大きな建物や公園。一見自然に見える山や川も人の手が入っています。目に見える範囲で人の手が入っていないのは…ほとんど無いですね。「空」くらいかな。

 

世の中の五感で感じとれること全てから、自分の考えで何をしたいのかを感じ取ってほしいと思います。別に一つに絞らなくても良いし、コロコロ変わっても良い。

そして親としてはあえて質問をせずに、子供の普段の言動から将来何をやりたがっているかを察するのが良いと思います。常日頃から子供が興味の対象を観察する必要があります。

 

もちろん一筋縄ではいかないと思います。理想論かも知れません。でもそれをするのが親の役目だと思っています。

最近は物事を始める敷居が低すぎて困る

タイトル通りですが、

世の中便利になると困る人もいる(まあ私ですが)という話です。これは年寄りの戯言だと思って下さい。決してこの話には共感しないようにお願いします。


昔は映画を撮りたければ、お金を貯めて8mmフィルムカメラを買う必要があった。いまはスマホででき、しかも親が買ってくれたりする。


昔はプログラミングしたければ、学校のサーバ室でマシンタイムを取って作業しなければならなかった。記録媒体はカセットテープで、簡易的なプログラムでも読み書きに30分とかかかった。エラーも多く、30分待ってもよく無駄になったりした。今は数千円のラズパイがあり格安のネット環境があり記録先はクラウドで開発環境は無料だ。


昔は芸を披露するには演芸場や酒場に売り込む必要があった。お金をくれる人もいれば、ビール瓶が飛んでくることもあったと聞く。今はYoutubeやニコ動がある。しかも広告まで付けてくれて勝手にお金まで稼いでくれる。


昔は投資したければ証券会社に電話をかけて売買注文しなければならなかった。数百万程度の小金では鼻で笑われる事を覚悟しなければならなかった。今はスマホから注文出でき、1か月に数千円からでも投資可能だ。


昔は何かを学ぶなら都会へ出てお金を払って学校に通う必要があった。今ではほとんどネットで有用な情報を入手できる。入門程度の情報なら費用はかからないので、自分に合わないと感じたら懐が痛む前に撤退する事が出来る。


昔は恋人を作るならほぼ友達からの紹介だった。いまはSNSで同じ趣味を持った人を簡単に探す事が出来る。


もちろんそれなりの結果を残すためには、昔と同様に努力と才能が必要だ。しかしやるかやらないかであれば、ほぼ障害なんて無くなってしまったに等しい。◯◯が無いから出来ない、という言い訳はもう通用しなくなってしまった。今の時代、何かをしないということは単なる怠惰だという事が白日の下に晒け出されてしまった。非クリエイター的な性質を持つ私のような人の立場としては、何ともやりづらい世の中になってしまった。


今の時代に子供を教育するのに最も大切なことは「何事も挑戦するのを躊躇しない」「無駄や失敗を恐れない」ように育てる事かも知れない。

現代は一見すると「効率化」が神のようにもてはやされているように見えるが、実は「無駄」な経験をどれだか積むかが重要になってきていると思う。最も怖いことは、無駄を恐れて何もしない、という事だ。

何か卓越した才能があることよりも、何事も躊躇せず失敗しても再び立ち上がるタフな性格を持つ方が、世の中をサヴァイヴ出来る様にみえる。簡単にいえば行動を「やめない」だけで良いのだが、それが難しい。

いろんな事に挑戦し続け、成功も失敗も積み重ねる事で経験値を貯めさせるべきだろう。それにはまず親が挑戦する姿を見せなければならない。

 

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。

 

本当に面倒くさい世の中になったものだ。