さて、どうする?

二児の父が考えた子育て方針の備忘録。父親目線で育児について気づいた事を書いてます。

私の年代別ベストゲーム

時代は2020年代に入り、今までのゲーム遍歴をまとめるエントリをチラホラと見かけたので、自分の年代別ベストゲームを書いてみました。

私の年齢は40代前半なので、歳の近い人は「ほほう…」と思って読んで頂けると幸いです。

 

1980年代

1983年にファミコンが発売され全盛期を迎える。私が初めてファミコンを買って貰ったのは、確か小学五年生のクリスマスだった。親父が真冬にホームセンターに並んでゲットしてくれたのだ。ただ、抱き合わせ販売で『ジャイロ』が付いていたのには流石に悪徳過ぎるだろうと苦笑した。当然ロボットは無しよ?(笑)

 

ツインビー(1985)

初めて手にしたファミコンソフト。この時はまだ本体は持って無くて、友達の家で遊ばせてもらうための手土産として購入した。(毎回、タダでゲームさせて貰うのも子供ながらに居心地が悪いのだ)

2人同時プレイが可能で、お互いに邪魔したり協力したりが楽しい。友達が分身まで育てたベルを、邪魔して黄色に戻したりしてね。

シューティングは結構難しく、散々遊んだが4面までしか行けなかったと思う。

 

スーパーマリオブラザーズ(1985)

説明不要の超名作。

このゲームの良さは操作性だと思う。当時のアクションゲームはジャンプしても、ワンテンポ遅れてふわっと妙な軌道を描くものが多く、直感的なプレイは難しかった。スーパーマリオは操作したとおりにキビキビ動き、操作性ってこんなにも重要なんだ!と思い知らせてくれた。高速で跳ね返ってくる亀を踏んで止めるなんて、本来ならかなり難しい動作だからね。このゲームなら楽に出来ちゃうけど。

それなりに難しいが、小学生でも繰り返しやり込めば全面クリアできるという絶妙なバランスも素晴らしい。

 

ファイナルファンタジー2(1988)

前年に発売されたファイナルファンタジー1も遊んだが、初のRPGということもあり、セオリーがわからずに途中で挫折。(なんせ、パーティーに白黒魔法使いが居なくて、肉弾戦オンリー。全ての戦闘をシーフで逃げてシナリオを進めていたが、途中で詰んだ。)

このファイナルファンタジー2は地道にパーティーを育てる事というを学習して、無事にクリアできた。最終ダンジョンが難しすぎるとのことでクソゲー扱いされる事もあるが、そんなに難しかったっけ?ちゃんと育てれば苦労しなかったが…

 

ドラゴンクエスト3(1988)

小学生の頃、周りの友達はみんなドラクエ3をやっていた。毎朝、登校時に進捗状況の共有をしたのが懐かしい。進捗が遅れると周りからネタバレされるため、遅れまいと必死に取り組んだ記憶がある。

 

また、ドラクエ3に関してはエニックスの「公式ガイドブック」も素晴らしい出来栄えだった。ガイドブックなので攻略本的なものではなく、町や城、装備や道具などをイラスト付きで紹介することでドラクエ3の世界観を余すところなく伝えるもので、画面上のドット絵の世界を補完してさらなる没入感をもたらしたのであった。

あと「モンスター物語」というモンスター視点でのストーリー集があり、これがまた名作で…

 


とにかくドラクエ3に関しては、ゲーム内容も、遊んだ年代も、取り巻く環境も全てがパーフェクトな状態であり、これはもう奇跡としか言いようがない。今後もこれを超えるゲームは出てこないであろうという、自分の中では絶対的な名作。

ちなみに小学生以降、ドラクエ3は一度も遊んでません。やるべきか、やらないべきか…

 


スーパーマリオ3(1988)

これも1988年なのか。とんでもねえな。

マリオ3からはワールドマップが登場し、ルートに分岐が発生する(まあ、今までも土管でルート選択はあったけど)。つまり行かなくても良いルートもあり、一気に自由さが高まったのが特徴。

またワールドごとに世界観が異なり、次はどんなマップだろう!?とドキドキさせてくれた。最後のワールドではクッパ艦隊と戦うことになるが、1人で果敢に強大な艦隊に向かうマリオを演出できていてすばらしかった。

 


なお、個人的には靴マリオが好きです。

 


ウルティマ3 聖者への道(1989)

海外のPCゲームの移植作なので、魔法を使うのにわざわざ触媒を消費するとか、戦闘から逃げると徳が下がるとか、最後のボスを倒しても特にエンディングっぽいものが無かったりして、とにかく新鮮だった。

後で調べて判ったが、ファミコン向けにかなり難易度を落とした移植だったらしい。良い判断だったと思います。

 


がんばれゴエモン2(1989)

ゴエモンとエビス丸が、日本各地を旅するゲーム。面ごとに背景が変わるので、本当に旅している気分になるのが楽しかった。

画面上に『上野』とか看板が出ると、ああもう九州からここまできたのか…と感慨深くなったものだ。

ゲーム的には割と地味目なアクションゲームだが、横スク、縦スク、3D迷路があり飽きさせない作りになっている。色々と細かいイベントが多く発生するので、2人プレイできゃあきゃあして楽しむゲーム。

 

1990年代

スーパーファミコンセガサターンニンテンドー64などの次世代機が続々と発売された家庭用ゲームの黄金期。個人的にも中学生〜大学生というモラトリアム期にあたり、最もゲームで遊んだ時代でした。


F-ZERO(1990)

スーパーファミコンと同時に発売されたゲーム。どう考えても本命は同時発売の「スーパーマリオワールド」だろうと思いきや、こちらの方が評価は高く、任天堂開発陣の層の厚さに度肝を抜かされた。


ドクターマリオ(1990)

当時はテトリスブームの影響で、なんでも落ちものゲーにする傾向があった。マリオも例外ではなく、なぜか医者になってウイルスを撃退するゲームを出した。

これがまた任天堂の恐ろしいところで、流行りゲーだと手を抜かずに、完璧に面白いものを出してくる。


関係ないけど、カプセルを投与してウィルスを撃退するゲームだけど、カプセル(抗生物質?)を投与するならウィルスではなくバクテリア(細菌)を撲滅するのでは?と思った。

 


ファイナルファンタジー3(1990)

このゲームは如何に事前情報をシャットアウトしてプレイするかが肝だと思う。私は幸いにも何の情報も得ずにプレイしていたので、ゲーム後半のとあるイベントでは「今まで冒険していたフィールドが、こんなちっぽけな○○だったなんて!!」と心の底から驚愕した。いや、本当にビビった。

またFF3は音楽も最高である。特に「果てしなき大海原」は○○から飛び出した後に状況が分からず茫然とした状況で、悲しみと混乱を思い起こさせる名曲だとおもう。

ファイナルファンタジーシリーズでは3が一番好きです。

 


ボンバーマン(PCE版 1990)

このソフトは買ってないが、CD-ROMで体験版をもらったのでそれで数ヶ月は遊んだ。地味なボンバーマンが対戦要素でここまで熱くなるとは!

中学〜高校生の頃は友達と遊べるパーティーゲームが楽しかったな。

 


いただきストリート(1991)

小学生位の可愛いキャラクターが、株やら買い占めやら破産やら不穏なワードを口にするゲーム。

ファミ通アメリカ大陸のプレイ実況が記事になっていて、それがあまりにも楽しそうだから購入した。たかがゲームに大人が必死になって他人と交渉して優位に進めようとする姿が、滑稽でとても魅力的に見えたんだよねえ。

冒頭に述べたとおり株が絡むゲームだが、同時中学生の自分でもすんなりと理解できるゲームシステムは秀逸。

 


ゼルダの伝説 神々のトライフォース(1991)

何というか、とんでもなく完成された一変の隙もないゲームという印象。現代のオーパーツかもしれない。何かがありそうだな?と思ったら必ず何かが用意されている。このゲームで製作者の意図を上回ることは困難。常にお釈迦様の掌の上で踊らされているのである。

特別にこれが面白い!というズバ抜けた事は無く、存在する全ての要素が素晴らしい。じっくりと世界観を楽しんでほしいゲーム。

 


ヨッシーのクッキー(GB版 1992)

ドクターマリオと同様に、流行り物のキャラクターパズルゲームだと思いきや、さすがは任天堂、ガチである。こういうゲームをサラッと出すあたり、本当に恐ろしい。

5x5マスの行または列に同じ柄のクッキー揃えて消すだけだが、1人で遊ぶと割と運次第なのであまり面白くない。ただし、対戦すると評価は一変する。消した際に相手を目隠しするブラインド、相手のクッキーをランダムに混ぜるシャッフルなど攻撃要素が加わり、如何に相手が嫌がるタイミングで嫌がる攻撃をするか?が勝利のポイントになる。運ではなく戦略が必要になる、まさに激アツ!

 


スーパー桃太郎電鉄2(SFC版 1992)

とんでもなく暇を持て余した学生時代に、こういう友達とボケーッと出来るゲームは楽しかったなあ。意味もなく最長の99年とかやって、最後にパルプンテカードを使いまくって場をぶち壊して終わったのは良い思い出。

 


バーチャファイター(SS版 1994)

アーケード版を初めて見たときの衝撃と言ったらもう…のっぺらぼうのような単純なキャラクターでも動きでここまでリアルさを体感できるとは、本当に驚愕した。また、スト2のように細かいコマンド入力を必要とせず、→Pみたいな単純な入力で技を繰り出せるのも大正解。この辺にゲームデザイナーの意気込みを感じる。おそらく、上からは「波動拳的なもの」を出すようにと圧力があったと思うんだよね…それを突っぱねた鈴木裕さんは偉い(私の妄想です)。

 


ナイツ(1996)

私の中でセガサターン最高傑作。子供が持っている恐怖、孤独を夢の中でナイツが退治するというストーリー。恐怖を退治する事により、エンディングでは子供が舞台で大勢の客前で勇気を出して歌うことが出来るのだが、こちらまで感情をぐいぐいと揺さぶられ涙が出てくる。こんなに気持ちが晴れやかになるエンディングは他に無い。これこそが家庭用オリジナルゲームの真骨頂。プロデューサーの中裕司さん素敵。

ゲーム的には、ソニックから重力を取っ払って自由さを増したような感じ。アナログコントローラで360度自由にナイツを操り、敵を囲んだら退治出来る。この重力のない自由さが病みつきで、ただ飛んでいるだけでも楽しい。

 


スーパーマリオ64(1996)

マリオの3D版だが、今までのマリオとは全く異なるゲーム。今までの2DにZ軸が加わるだけで、ここまでアクションの世界がブワッと広がるとは想像できなかった。

2Dではただ進むだけの橋も、3Dでは踏み外せば落ちるので、何度も何度も落ちては進み落ちては進みを繰り返して、ようやくゴールに到達する工程にカタルシスを感じた。一見、3Dで派手になったが、実際にやると地味な努力と継続を要求されるゲームだった。結構難しかったなあ。

 

2000年代

就職するとゲームからは一旦離れてしまった。何と一本だけ。

PS2PS3ゲームキューブも買いませんでしたが、PSXというDVDレコーダーを持っていたので、PS2のゲームを遊ぶことはできた。ほとんど使わなかったけど。

 


ワンダと巨像(2005)

ひ弱そうな男(ワンダ)が好きな女を蘇らせるために、建築物の如き大きさの巨像に1人で立ち向かうゲーム。

巨人の弱点を目指して剣を片手にワシワシと登って行くのだが、巨人が嫌がってブンブン振り回すのを歯を食いしばり片手で必死にしがみつくのが、もう健気で仕方がない。

巨人に対してこちらが有利なポジションにつくと勇ましい音楽に変わる演出があるのだが、これが本当に素晴らしく、勇気を与えてくれる。

全ての巨像を倒した時、本当に女の子は蘇るのか?ワンダはどうなるのか?涙なしでは見れないエンディング。まさかああなるとはね…

全てが完成された非の打ちどころのないゲームだと思う。

 

 

2010年代

結婚して、子供も出来てなかなかゲームには手が付かない環境。それでも出会ってしまった…FPSというジャンルに…

 


バトルフィールド3(PC版 2011)

PC版シムシティ4を買った時にダウンロード障害が発生しており、お詫びの品として無料でダウンロードしたのがバトルフィールド3だった。

キャンペーンをプレイしてみると、まあ面白いこと!アメリカ軍海兵隊によるイランでのテロ抑止作戦のリアルさ、最新鋭の兵器による派手な攻撃から、地下道を這いずり回る地道な作戦まで、全てが新鮮だった。海外ゲームはこんなにも進化していたのね!と驚いた。

初めてオンラインで遊んだ時も衝撃だったな。一瞬でも気を抜くと即死に直結するという。キャンペーンなんて比じゃないね。シビアすぎだろ。キルレートを1に戻すまでどれだけ大変だったか。

 


バトルフィールドは4、5も遊んだけど、3が一番好きでした。

 

 


以上、1980年代から2010年代までを振り返りました。他にも紹介したいゲームはたくさんあっだけどね。フラッピーとかゆみみみっくすとかエアロブラスターズとか。

 

衝撃だったのは、2000年以降は全然ゲームしてないじゃん!ということだった。

人生やらなければいけない事は山ほどある。私は自分のことをゲーム好きだと認識してはいるが、残念ながら今後もゲームが優先順位の上に来ることは多分無いだろう。

振り返ってみると、ただ漫然とゲームで遊んでいた時間も、実は貴重な時間だったという事がわかった。それだけでもこの振り返りには価値があった。

 


今後、子供達が成長してゲームで遊ぶ歳になったら、ニンテンドースイッチなどで一緒に遊ぶかも知れない。その時は子供たちの貴重なゲーム体験の一端に加われる事を喜びとして、自由にゲームを満喫させてあげたいと思う。