オモチャくらい欲しいものを買ってあげようよ
タイトル通りですが、オモチャくらい欲しいものを買ってあげようよ。という話です。
私が4〜5歳頃のとてもガッカリした事件からの教訓です。
その1
何かの理由でオモチャを買ってもらえる事になり両親とデパートに向かいました。うちは経済的余裕はなくオモチャなんて容易に買って貰えないため、テンションMAXでした。
色々と見た結果、私はトミカパーキングが欲しいとリクエストしました。立体的な駐車場にトミカを走らせるのがとても楽しそうだったからです。自分の家でそのように遊ぶ姿を想像すると、楽しくて仕方がありませんでした。
しかし、色々と理由をつけられて却下されたのです。置き場所がないとか、そもそもトミカを持ってないのに駐車場だけ買ってどうするのか、などの理由です。確かに真っ当な理由だとは思います。
しかし、子供としてもそんなことは百も承知で、確かにその時点でトミカは持っていませんでしたが「いつかはトミカも買う」という夢を見ていたのです。その夢を打ち破られたように感じました。
完全にふてくされた私は「じゃあいらない!」と言って、両親に帰るように促し、車に乗り込みました。しかし発車すると思いきや父親が「ちょっと待ってて」と、ひとり店に戻って行くではありませんか!
「もしや、トミカパーキング買って来てくれるのでは!?」と期待したのはいうまでも有りません。完全に買ってくれるものと期待しつつ、父の帰りを待ちました。
しかし父が買って来たのは見た事もないような謎のロボでした。
ガンダムの様なテレビで放送しているものではなく、全く得体の知れないロボットでした。
「コレジャナイロボ」と言うのが有りますが、まさにそのものです。
子供心にとてもガッカリしたのは言うまでも有りませんが、それ以上に困ったのは、このテンションの上がらない謎のロボをどう扱うか?でした。
せっかく買ってもらったオモチャなので、遊ばない訳には行きません。親の気持ちも考えて、仕方なく表面上は楽しそうに遊ぶ事にしましたが、子供心に何故この人たちは欲しくもないオモチャを買って喜ぶと思っているのだろう?という疑問が残り、とてもモヤモヤしました。
その2
クリスマスプレゼントに当時CMをやっていた「空気圧で動く車」をリクエストしました。車に搭載するタンクに手押しポンプで空気を入れ、その空気圧を動力として車輪を動かす仕組みです。
こんな感じのやつです。デザインはもっと昭和風でしたが。
エコの波が玩具にも:空気エンジンで時速20キロはだてじゃない! セガトイズ、「爆音爆走 エアゼロ」を7月に発売 - ITmedia LifeStyle
さて、クリスマス当日、私の枕元にあったのは希望通り空気圧で動く車!……ではなくバイクでした。
確かに空気圧で動く原理は同じです。違うのは車輪の数だけと言って良いでしょう。
しかし私が欲しかったのは、CMでやっていた「空気圧で動く車」だったのです。言ってしまえばこれはパクリ商品でありバッタモンなのです。
80%は希望に合っているのに、残りの20%が違う事でなんだかとても残念な気持ちになりました。
ちなみにこのバイクは数日遊んだだけで空気口が破損して空気を入れられなくなり、ただのオブジェになりました。(所詮はバッタモンだからか?)
結論
子供がリクエストするオモチャには必ず理由があります。しかし子供には話術が無いので大人を説得する事は難しいですし、説明しても細かすぎて大人には理解出来ないかも知れません。
しかし、子供なりの理由は確実にあります。プレゼントは子供にとって一大イベントです。それくらいは子供の望み通り買ってあげましょう。同じ商品である事は当然ですが、色やオプションも希望通りに。期待を裏切られた時の残念な気持ちは、子供でも辛いものです。たった数千円ケチっただけで与えるダメージは計り知れません。
もしかしたらその場の思いつきで欲しがり、長くは遊ばないかも知れません。しかしそれでも良いじゃないですか。子供からの信頼は得られるのですから。
子供の頃から欲しいものを手に入れたらワガママになる? そうは言っても、これからの人生思い通りにならない事ばかりですよ。子供の時くらいは夢見させてあげましょう。プレゼントという(大人にとっては)小さな事ですが、いわゆる成功体験をさせてあげる事が重要と思います。
賢いお金の使い方とは?
前回のエントリの続きのようなもの。
前回はモノを買う時には少しだけ「敬いの心」を込めるようにしたい、と書きました。
書いてから一週間程度経ちましたが、やはり感覚的に正しいな、と感じます。
論理的に正しいでは無く、感覚的に正しいというのが重要です。
さて、話は変わりますが、人生の決定事項において「お金」を基準に考えてしまうと、自分の中の価値観が狂ってしまうという話です。
お金というのは単に社会を円滑に運用するためのツールに過ぎません。人々の生産物を円滑に取引するための共通の尺度としての機能です。
紙幣や硬貨の形をしていますが、お金としての実体は無いようなもので、単にみんなが使っているからという理由だけで成り立っている不思議な存在です。
(あまり詳しく無いのでツッコミどころはあると思いますが、私の認識はそんなものです。)
お金を基準に合わせるという事は、自分の価値観を周りのみんな、つまり社会の判断基準に迎合させる事になります。
逆に言えば社会の基準に合わせて生きようとすると、どうしてもお金が必要になります。
しかし、残念ながら、お金は強者に集まる仕組みになっています。能力のある人、運のある人に集まります。そうで無い人には最低限のお金しか与えられません。
やりたいことがあるのに、お金が無いから出来ない、というのは悲しいことです。
お金が稼げない=社会的弱者のように悲観的に考えてしまう事もあります。
そんな事は無いと否定したいのは山々ですが、お金が社会の基準になっている以上、お金が無いと社会的な立場は弱くなってしまいます。特に教育や医療の場面では顕著に差が現れますよね。
家が欲しい、車が欲しい、海外旅行に行きたい、外食したい、、、人間には色々な欲望があります。それらを叶えるためにはお金が必要です。もう痛いほど身にしみてますが…
全てを叶えられるのは一部の人でしょう。
そうでない人は、まずは自分が本当にやりたい事は何なのかを見極める事が重要と思います。
たとえば高級車が欲しい、海外旅行に行きたいのような欲求であれば、それは周囲に影響されて憧れているだけかもしれません。もし、周りが持っていなかったとしても欲しいと思うか?を想像してみると良いと思います。
もしかしたらほどんどのものは不要になってしまうかも知れません。
そうして余計なモノをそぎ落とした結果、残ったモノ=本当にやりたい事に対して自分の稼げる額を投入する。
そして、それ以外の低優先のモノに対しては、我慢する手もアリですが、頑張って稼ぎを増やして手に入れるのが健全な姿かと思います。
先ほどは必要なものだけあれば良いような事を書いておきながら、いきなり真逆の事を書いていると思われるかも知れません。
が、最低限の事は確保しつつ、さらに上を目指して頑張るためのツールとしてお金を利用するということです。本来は必要の無いものと割り切っているので、手に入らなかったとしてもショックは少なく済みます。
お金に使われるのではなく、お金を使う方に回りましょう。
それがお金に対する正しい態度ではないかと考えています。
今日はこんなところで。
賢い買い物のしかたとは?
どうやったらモノを賢く購入できるか。ということを最近考えています。
「賢く購入=安く手に入れる」という意味ではありません。
モノを購入することを通じて、どうやったら世間に貢献出来るか。みたいなことです。
まあ、そんな大それた話ではなく、実に個人的なスケールの小さな話ですが。
例えば、欲しい家電があったとします。
まずは価格コムで最安値を見つけ、念のためにアマゾンやヨドバシドットコムでも価格を調べる。もちろん送料やポイントなども考慮して、最も安い店を選んで商品を買います。
欲しいものが安く買えるのは嬉しいものですが、なんとなく心に引っかかるものがあります。この安さの裏で何が犠牲になっているのだろうかと…
少し考えたところ、思いついたのは以下の事です。
・商品を大量に捌く事で利益を確保していることは理解しているが、業界全体としては利益を損なっているのではないか?
・価格一辺倒になってしまうと、他の大切なこと、例えば品質やコンプライアンスが軽視されてしまうのではないか。その結果、不正をして利益を出す業者が強くなってしまうのではないか?
・力の強いメーカー、販売者に人気が集中しすぎ、一強多弱のような不健全な環境になってしまうのではないか。(つまりアマゾン)
別に自分の力で業界を育てるとか、利益をもたらしたい、なんて殊勝なことは思ってません。
しかし、非力ながらも自分にできることは何だろうか?と考えました。
数日かけて考えて思いついたのが、モノを買う時に少しだけ
「敬いの心」
を込める。ということです。
はあ?何のこっちゃ?ですが、具体的には、
・これと決めた商品を意識的に買い支える。
安い競合製品が出ても安易に乗り換えない。
(メーカ、商品への敬い)
・大型店の方が安いとしても、たまには近所の小型店舗で買ってみる。(地域への敬い)
アマゾンや価格コムだけではなく、近くの電気屋で買うとか。
・店員さんと話して、薦められた商品を買ってみる。(店員さんへの敬い)
私は自分で選ばないと気がすまない性格なので、今までは店員さんが寄ってくると「ウザいなあ」と思うばかりでした。
しかし、お客さんの役に立とうとしている人に対してその思いは失礼でした。
これらの事を実践するためには、まずは自分が生産者や販売店、商品に対する考えを深めないといけないと思いました。利益しか求めてない会社からよりも、健全でお客さんのために頑張っている人たちに貢献したいですからね。
多少高い値段で買うことになったとしても、「他に安い店があった!損した!」と思うより「ほんの少しだけ貢献するから、今後も良い商品作ってね!」と応援する気持ちがある方が、なんだか気持ちよく買い物出来ると思いませんか?
「サザエさん」の磯野家と三河屋の関係が素敵だなあ。と思っています。
酒や調味料が切れた頃合いを見計らってサブちゃんが「ちわ〜、三河屋です!」とやってくる。
きっと値段は定価そのままだろうし、選べる種類も少ないでしょう。しかし、そこにあるのは買い手と売り手の信頼関係です。
人を無条件で信頼出来ると言うのは、とても楽なものです。「この人は利益の為に高く売りつけようとしてるのでは?」などと考えると、とてもストレスになります。それが無くなることを考慮すると多少値段が高くても良いのでは?と思います。
うーん、なんか書いてる事が年寄り臭いかも。懐古主義的な?
今までどちらかと言えば私はコスパ至上主義でしたが、今では全く逆の価値観を持ち始めています。
歳をとるということはとても面白い事ですね。
このエントリを書くのに一週間くらい考え、何度も何度も書き直してしまいました。思考を文字にまとめるのは難しい…
おしまい。
人体ってバグってるよねと思ったコト
体のパーツは考えられる最適な場所についていると思いますか?子育てをする上で一箇所だけ配置を考え直して欲しいパーツがあります。
それは、チ○コです。
男性の股にある、男性を男性たらしめる超重要器官。それがチ○コですが、生えてる場所が子育てには不向きすぎる!
マジでほぼ毎日蹴られているんじゃないでしょうか。これはあれか?子供が出来たんだからもう不要でしょ?的な神様の狙いなのか?
以下、シチュエーション毎にポンチ絵で説明します。なお、絵が下手なのはiPhoneのメモにフリーハンドで描いているからです。私に絵心が無いわけではありませんから!
シチュエーション1
子供を抱っこした時。
子供が足をバタバタさせたらどこを蹴る事になるかわかりますか?はいチ○コです。
シチュエーション2
寝ている時。
子供は父親の足元から寄って来て、上に乗ろうとします。その時に父親の体の玄関口になるのは、はいチ○コです。
シチュエーション3
子供が走り寄って来た時。
父親の足にしがみついた時、子供の頭はどこにありますか?はいチ○コです。子供が笑顔で駆け寄ってくる時に、実はお父さんはタマがヒュンってなってます。
シチュエーション4
子供に飛行機をやっている時。
ちなみに飛行機とは、子供を足裏に腹ばいに乗せて持ち上げる遊びの事です。
呼び方は違えど、みなさん同じ遊びをやっているのではないでしょうか?
飛行機から子供を降ろす時に、子供から見て踏み台となるのは…はいチ○コです。
子供ができるまでは、こんなに邪魔になるとは夢にも思いませんでした。常にブラブラして一見邪魔そうだが、意外と邪魔にならずに在るべき場所にシッカリと収まってくれる器官…そういう印象でした。
まさかこんなにも邪魔になるとは!もういらない。取りたい。
あーあ、タコみたいにならないかな。10本指のうち一本だけが実は性器なんです、みたいな。一本だけ僅かにビラビラが付いてて、他の指との区別がつくようになってて、どの指が性器なのかは人によって異なり、それが小指だった場合はサイズ的に劣等感に苛まれる、とかさ。
どうですかね、神様?
イジメを少しでも回避するために出来ることは?
子育てする上で、どうしても考えなければならない事があります。
それはいじめについて、です。
自分の子がいじめに遭うなんて考えたくも無いですが、こればかりは考える事を避ける訳にはいきません。
まずハッキリさせておきたい事は、
いじめは卑劣な犯罪であり、決して許されない行為で、撲滅しなければならない行為である。
という事です。
加害者の肩を持つ気はコレっぽっちもありません。
しかしながら、実際には撲滅はまず無理でしょう。ならば少しでも自力で防ぐしかありません。
・イジメが発生する「原因」は、加害者側、被害者側の双方にある。
・しかし、「悪い」のは100%加害者側である。被害者は1ミリたりとも「悪く」はない。
「原因」と、どちらが「悪いか」という事は切り離して考えなければなれません。
「悪い」のは100%加害者側だとしても、「原因」はイジメられる側にも50%はあると思います。
こう言うと、加害者を擁護するのか!?と言われそうですが、そう言うつもりではありません。イジメのリスクを避けるには、自己防衛した方が良いと言う事です。
家の鍵や窓を開けっ放しにすれば泥棒が入りやすくなるように、残念ながらイジメられやすい態度というものはあると思います。
それを改善していく事は、基本的には当事者にしか出来ませんが、周りがサポートする事は出来ると思います。
・物事をハッキリ言わず、オドオドしている
・声が小さい
・周りから孤立している
・体格が極端に細い、または太い
自分の子供に上記のような特徴があれば、できるだけ改善するように促して行きたいと思います。
子供の生まれ持っての性質を歪めるようなことまではしたく無いですが、ある程度は仕方がない…
ただし、自己防衛すればイジメは防げるのか?というと、それは違うと思います。
あくまでも「原因」は半々なので、いくら被害者側が完全に自己防衛しても50%しか改善されません。残りの50%は加害者次第です。
こればかりは運次第。そうならない事を願うしかありません。将来、学者や政治家になる人物も、ヤ○ザや犯罪者になる人物も一緒くたに過ごすのが学校というサバイバル空間ですから、何がイジメのきっかけになるか分かりません。
自分ではどうにもならないという点では、落ち度は無く、全く卑下することはありません。文字通り「運が悪かった」として開き直るしかありません。
ただ、開き直るには、いざという時に逃げ場が無いとダメだと思います。それが無ければ開き直る余裕もないでしょう。
最悪の場合にはイジメの影響が及ばない空間へ逃げ込める余地があるからこそ、大胆になる事が出来ます。それを用意するのは大人の役割です。
またもう一つの、大人としての重要な役割は、子供からの緊急信号の窓口としての機能です。つまり、この人に相談すれば何とかしてくれるだろう!という信頼を得ておく必要があります。それが無ければ、いくら逃げ先を用意していても役立たずです。
学校の先生がどのくらいサポートしてくれるかは未知数なので、少なくとも親がその役割を担うべきでしょう。
私は普段、あまり子供を怒りません。(怒る、怒らないの判断基準は、また別途書きたいと思います。)それはいざという時に子供が安心して頼れるようにするためです。頭ごなしに怒らずに、普段から子供の言うことに耳を傾けるようにしています。
子供はまだ3歳ですから、中学高校卒業まであと10年以上はこの役割を果たす必要があります。本当、親は大変です…
なお、子供を叱るのは妻の役割になっています。損な役割を押し付けてしまい、妻には感謝しきりです。
まとめ
・イジメられやすい性質があれば、自己防衛のために改善したい。
・それでも被害に遭うことはあるが、どうしょうもないので開き直るしかない。
・逃げ道は大人が用意する。親はもちろん、教師や自治体の力を借りても良い。
・親は子供の緊急信号を受ける役割を果たすこと。
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長々と書いてきましたが、実はこれらは自分の体験から得た内容です。つまりイジメを受けた事がある当事者として、どうしたら良かったのかを大まかに書いたものです。
上で書いた4つのイジメられやすい性質は全て自分に当てはまることです。
今思えばもっと堂々としていれば良かったし、卑屈になる事もなかった。悪いのは100%加害者側ですが、自分にも出来ることは沢山あったな、という自戒を込めてのエントリです。
また、自分の場合は先生に相談する事で解決したので、大人の役割は本当に重要だとも感じました。
イジメで自殺に追い込まれるケースでは、先生に相談してもサポートが得らなかった場合があるようです。必死でしがみついたのが頼りない藁だったと分かった時の絶望感は想像する事も出来ません。自分の場合は運が良かったです。
親には一切頼らなかった、というかバレないように隠蔽していました。これは親を信頼していないのでは無く、心配をかけさせない為です。
逆に親の立場となった今、どうすれば頼られる存在になるのか、考えることは多いです。
見逃されがちな結婚のメリットとは?
最近は結婚というと、インタネット界隈ではやたらデメリットを強調されがちに感じています。
良くあるのは、お金も時間も自由に使えないという事です。
確かにその通りで、結婚すると独り暮らしと比較するとかなりの制約があります。いわゆるコスパ悪い、ってヤツです。
なので私は結婚は選択肢の一つと考えており、独身者に結婚を無理にオススメしたいとは思いません。
しかし、結婚に関して金銭や時間面のメリット・デメリットを考える前に、大前提とも言える一つだけ見落とされがちな重要な事を言っておきたいと思います。
それは、
結婚する事で人生に愛が生まれる。
という事です。
これってごく当たり前の事だとは思いますが、既婚者に聞いてもなかなか出てこない事です。他人に語るのは恥ずかしいですからね。普段は家族への不満ばかり口にしているような人でも、意外と家族愛はあるものです。
愛する家族がいる事で、辛い時も笑顔になる事が出来る。自分がどういう状況であれ、家族が幸せなら自分も幸せにになれる。そんな存在がいる事は心強いものです。単純にコスパでは測れないものだと思います。
もちろん独身でも(むしろ独身だから)恋愛は出来るし、かけがえのない存在(彼女彼氏、友達、ペットなと)は出来ると思います。しかし家族と言うものは、色々な困難、悩みを乗り越えているだけに理屈では語れないほどの結びつきがあります。
ま、結婚すれば必ず愛のある生活が手に入れられるかというと、そんな事は無いのですが。
むしろ憎悪渦巻くご家庭もありますし(´;ω;`)
結局は努力次第なところはあります。
結婚のデメリットが強調されがちな昨今、こんな事も忘れないでねという事を書きたかっただけでした。
読書感想文が死ぬほど苦手だった話
読書感想文。
小学校時代を思い出す懐かしい響き。
そして、どちらかと言えば苦い思い出。
私はあれがどうも苦手でして。
何がって、感想文を書く事がです。
というか「感想を他人に伝える」事が非常に苦手でして。50分も悩んでたった3行しか書けない、というザマでした。
というか、今でも苦手ですけど。
小・中学生のコンクール優秀作品などを読むと、とても分かりやすい説明で、かつ自分の主張も取り入れており、感心しきりです。大変頭の良いお子さんですねぇ、と唸ってしまいます。
読書感想文とはザックリといえば、最低限下記の点を他人にも分かりやすくまとめることだと考えていますが、通常学校で課題を仕上げるであろう1時限(50分)程度の時間では、私には到底まとめ上げる事が出来ないのです。
1.この作品から自分は何を感じたのか?
2.なぜそう感じたのか?
これが私には大変高度に感じるのです。
恐らく、感想文が得意な人には全く想像も付かないと思いますが…
まず1点目ですが、1冊の本を読んだからには数多くの感じる事があるでしょう。その中から、特に重要な事をピックアップして説明する必要があります。
しかし、一つの内容を取捨選択する事が出来ません。例えば物語であれば、導入部分から発展、オチまでの全てが重要です。起承転結の構成要素からその一部だけを取り上げる事は、物語を自分の感性に従って歪曲してしまうような気がして出来ないのです。
物語の最も盛り上がる部分だけを取り上げる場合には、その前提となる導入部も説明しないと気が済まず、その結果、脳内で整理が出来なくなり、原稿用紙上にまとめる事が出来なくなります。
2点目ですが、そもそも私には感想を誰かに伝えたいというモチベーションが有りませんでした。伝えてどうするのかと思っていました。
自分がまとめ下手であり、うまく伝えられないのは重々分かっており、誤解されるくらいなら伝えない方が良いという消極的な考えに至ってます。
自分の感じた事を誰かに伝える楽しさがわからない。これは自分でも非常に残念です。
優秀作品を見ると、本の内容と自分の体験を重ねる事で、何故そのような感想を持つに至ったかを説明する事が多いようです。
しかし、私にはそんな大それた経験など無く、たとえば「挫折を乗り越えた経験」や「親類の不幸(死)」などを扱った感想文を見ると「あ〜あ、うちも誰か死んでれば書けるのになあ」などと不謹慎な事を夢想したりしたものです。
そもそも、上記を満足に出来る子はそれほど多くはないのではないでしょうか?
読書感想文はかなり頭脳を使う科目でありますが、学校で方法論を教える事もなく(教える教師もいると思いますが)、実力差の現れる科目だとも思います。
学校で感想文の書き方など習った記憶が無いのですが、基本的な文章構成の仕方くらいは教えて欲しかったです。そうすれば少しは好きになったかも知れないのに…
近い将来、子供が小学校に入り感想文の書き方に悩んだ場合に、教えてあげられるようにもう少し文章力をあげておきたいと思います。
読書感想文全国コンクール公式サイトのQAによると、感想文を書くコツは次のようです。以下に引用させて頂きます。
「本を読んで自分がどこに感動したのか、なぜ感動したのかを考えましょう。そしてもう一度本を読んでみましょう。自分の生き方や経験と本の世界とを照らし合わせると、いろいろなことが見えてきます。感じたこと、思ったこと、連想したことなどを忘れないうちに全部メモしておきましょう。そうしたら、順番を入れ替えたり内容を補ったりして、どう書けば自分の心の動きにぴったりするか、それがうまく人に伝わるかを考えましょう。先生や家の人と相談してみるのもいいでしょう。そうするうちに何をどう書けばいいのか、自分が一番言いたいことは何なのかがはっきりしてきます。書き終わった時には、それまでとはどこか少し違った自分になっていることに気づくはずです。」
なるほど、コツとしては下記みたいですね。
・本は2回以上読む
・感想はすぐさま付箋などにメモする
・メモした感想を、順番を入れ替えたり、内容を補ったりする
・一番言いたい事は何かを探る
・他人にも相談すること。
本を1回読んだだけで真っ白な原稿用紙に向き合ってうんうん唸っていた、子供の頃の自分に聞かせてあげたいです。
あと、やっぱりメモは大切ですよね。