さて、どうする?

二児の父が考えた子育て方針の備忘録。父親目線で育児について気づいた事を書いてます。

40歳会社員男性(既婚、子持ち)が考える幸せの定義とは?

たまに「自分は幸せか否か?」をぼんやりと考えたりします。特に何か不満があるわけでなくとも、ふと何気ないタイミングで頭の中にポッと浮かぶのです。

ただ、殆どの場合は

「まあ健康だし、仕事もあるし、妻も子もいるし、幸せな方だよな」

と言うありきたりな結論になります。

 

でもなーんか引っかかるのです。心にモヤモヤっとするものが。自分は本当に幸せなのだろうか?何をもって幸せと言えるのか? いやそもそも、

 

「幸せ」とはなんだ? 

 

ちょっと考えてみました。

幸せは「お金」や「身分」や「権力」では無いと良く言われます。確かにこれらがあれば必ず幸せになる、とは限らないでしょう。でも無いよりはあった方が良いように思えます。

じゃあ、「愛」や「友達」や「恋人」なのでしょうか? なんとなく幸せっぽい気がしますね。でも、これだけでは生活に困るような…

 

結局「◯◯があれば幸せになれる」という前提自体が違っているのではないでしょうか?

恋人や友達がいなくても、お金や仕事が無くても「幸せだ」と思える瞬間は誰にもあります。

人が「置かれている状況」と「幸せ」かどうかは、実はあまり関係ないと考えています。

 

ざっくり言うと、

「幸せ」=楽しい、嬉しい、気持ちいいと思う一過性の感情

 

だと思ってます。

 

自分が「幸せ」かどうかを考える意味は無い。

今の状態が、楽しいか、嬉しいか、気持ちいいかどうかは、考えるまでもなく直感的にわかるでしょう。むしろごちゃごちゃと考えない方が感じやすい。

いわゆる有名なブルース・リー

Don't think. Feel.

というやつです。

 

それが幸せなのです。

 

難しく考えるから悩んでしまうのです。

幸せなんてたかが一過性の感情です。何か「幸せ」という「ゴール地点」があって、それを目指すべきだと考えるから話がややこしくなるのです。ゴール?そんなものは無い。と考えれば気が楽になります。

 

今日の私は、仕事はあまり進まなかったので不幸な感じで、家に帰ってご飯食べて子供と遊べば幸せです。 なので今日は不幸のち幸せ、と言ったところでしょうか。

明日はどうなるか分かりません。

 

もし日々の生活で「不幸だなあ」と感じることが多ければ、何か幸せになれる事を積極的にする必要があります。例えば、好きなものを食べる、温泉に浸かる、好きな本を読む、何でも良いです。お金をかける必要もありません。ただ、自分が幸せを感じているかを意識するだけです。

また、避けられるのであれば不幸な気持ちになるのを避けた方が良いでしょう。例えば、インターネットやテレビで人の悪口、批判などを見ていると気が紛れるようですが、実は自分の気持ちが削られるので見ないようにしています。また、やるべき事を放置したりすると心にモヤモヤが残って疲れるので、頑張って処理したり。

そうやって、1日のなかで幸せな時間を増やし、不幸な時間を減らしていく努力が必要です。何もしないで不幸だと嘆いているだけでは改善しない事はわかると思います。幸せは歩いては来てくれません、だから歩いて行くのです。

 

さて次の疑問。

 

幸せなら良いのか?

 

いうこと。

努力して幸せな時間が増えたとします。わーい。

 

で?どうする?

 

となりますよね。

長くなってきたので、続きは次回。

(更新しました)

 

目の前の奇行に想像を巡らせたら最終的に泣きそうになった話

数ヶ月前の話ですが、仕事帰りにこんな光景を見ました。

 

忙しい時期だったので夜11時頃に会社を出て、家路につくためにJR横須賀線に乗った時の事です。遅い時間帯でしたが乗客は多く、シートは満席でつり革も8割程度は埋まっている状況でした。

 

私は幸運にも座れていたのですが、対面席に座っている男性客がおもむろにカバンから弁当箱を取り出し、その場でムシャムシャと食べ始めたのです。

「なん…だと…!?」

私は目を疑いました。

 

利用している人は分かると思いますが、首都圏のJRの車両はシートが結構狭いです。両脇に体格の良い成人男性が座ると、とても身動き出来ません。また、夜遅くまで一生懸命働いた人々が大勢乗っている電車はほのかに体臭が漂っており、私ならとても食欲は湧きません。

 

そんな中、その男性は膝に置いたカバンをテーブル替わりにし、身をよじらせながら弁当をガツガツとかきこんでいたのです。恐らくは恥ずかしいのでしょう、少しでも早く食べ終わりたい気持ちが目に見えて分かるほど、ガッついて食べ急いでいました。

 

皆さんはこの光景をどう思いますか?

私は正直、ドン引きでした。恐らく周りの乗客もそうだったと思います。

何をやってんだこの人は? 電車で弁当食べるなんて非常識じゃない?つーか、恥ずかしいならここで食うなよ。帰ってから食えよ。◯鹿じゃないの? と。

 

しかし、冷静にこの男性の立場になって考えて見たところ、むしろ逆にこの男性の行動に優しさを感じ、最終的には少し泣きそうにさえなったのです。

 

まず、夜11時の電車に乗っている時点で、この人はかなり仕事が忙しいと思われます。手付かずの弁当があると言うことは、昼食も取れないほどに忙しかったはず。

しかし、奥さんが作ったであろう愛妻弁当をそのまま持ち帰るとどうなるか。きっと夕食は用意されているでしょうから、手間暇かけて作った弁当は食べずに廃棄する事になるでしょう。仕方がないとはいえ、彼はそれを許せなかったのだと思います。

そのため「ほぼ満席の電車内で弁当を食べる」という修羅の道を選んだのだと思います。恥ずかしい?臭くて食欲が湧かない? そんなことは関係ありません。全ては弁当を作ってくれた奥さんへの感謝と愛情のためです。

そしてきっと彼は、帰宅後にいつもと同じように空の弁当箱を渡して「ありがとう、美味しかったよ」と言うのでしょう。実は昼に食べる時間も無いくらい忙しく、帰りの電車内で他の乗客に見られながら食べている事など一言も口に出さず、いつも通り振る舞うことでしょう。

そこまで想像した時点で胸がジーンとなり、少し泣きそうになりました。 あんたいい人だねぇ(´;ω;`)

 

 

…はい、全て私の憶測です。実際の理由は知る由もありません。 

 

ただ言いたかったのは、一見奇妙に見える行動にも実は正当な理由があるかも知れない、と言うことです。ただ一瞥して「◯鹿じゃねーの?」で終わらせてはいけません。何事にも理由はあります、ただそれを知る術が無いだけです。

 

それだけです。

子供相手でも適当にあしらってはいけません

子供からの要求には何でも真摯に応えたいなあ、と思っております。

欲しいものを好きなだけ与えるとか、質問に全て答えてあげるとか、何処へでも連れて行ってあげるとか、そう言うことではありません。

子供の期待に沿えないとしても、ちゃんと応えてあげたいのです。

 

言い方を変えれば「軽くあしらう」と言うことを絶対にやりたくありません。子供だとしても「あっ、今適当に軽くあしらわれたな」と見透かされるからです。悪気は無かったとしても、一人の人間として否定するのと同然の行為だと思います。

 

色々なシチュエーションはありますが、子供が何らかのアクションを起こした事に対して、話を聞いたり、何をするのか理解しようともせず、頭ごなしに以下のような事を言う人は結構多いと思います。

 

・忙しい状況で、今全く必要のないことを要求された場合。(例: 今から出掛けるのに、DVD観たいと言いだす)

→今忙しいからそんなわがまま言わないで!

 

・何の脈絡もないありえない要求をされた場合。(例: 今からディズニーランド行きたい!と突然言いだす)

→そんな馬鹿なこと言ってんじゃないの!

 

・静かにするべきシチュエーションで騒がれる(例: 電車などで)

→シーッ、うるさいよ!黙ってて!

 

言ってることは正しいのですが、言い方が良くないため子供の心に傷付ける事になってしまいます。正しいことでも頭ごなしに否定されたら大人でもムッとしますよね。

たまに言ってしまう程度ならまあ「愛のムチ」的な指導として許容範囲かとおもいますが、口癖になっている場合は要注意です。

 

じゃあどうしたら良いかというと、拒否する理由と、どうすれば出来るかを言うだけで良いと思います。

・今は◯◯だから出来ないんだよ。後でやろうね。

・それをやるのは難しいね。◯◯なら出来るよ。

・他の人が迷惑するからやめようね。家に着いたら好きなだけ騒いで良いよ。

 

まあ、理由を説明されたとしても子供が簡単に納得するわけではありませんので、同じ事を根気強く何度も言い続ける必要があります。

注意事項としては、納得しないからといって途中で主張を変えない方が良いでしょう。

「あ〜わかったわかった、だったら勝手にやってくれ!」のような感じで急に許可されてしまうと、誰でも困惑しますし、一貫性が無いと信用をなくします。

 

焦っているとついつい子供を軽くあしらってしまいますが、癖にはならないように注意です。少しでも真摯に応えるようにしたいものですね。

子供の無意味な行動に付き合える幸せについて

幼稚園児位までの子供は、やりたいことはストレートに実行し、やりたくないことはやらない。行動の結果や意味なんて考えないし、空気も読まず、人からどう見られるかなどとは気にしません。

子供がそのように自由に行動しているのを見ると、こちらまで幸せな気分になります。

 

私が出勤する時、娘が玄関で手を振ってバイバイするのが毎日の習慣ですが、最近は飽きてきたのか、手の代わりに足を振る「足バイバイ」や尻を振る「尻バイバイ」を編み出しました。

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 負けじとこちらも足や尻を振って応戦します。いい大人が出勤前に何をやっているんだ。

 

また、娘はジャンケンが好きで、毎日寝る時に勝負するのですが、これも普通では飽きてしまい、色々なバージョンのジャンケンを生み出しました。

  • 足ジャンケン

→足を開くとチョキ、閉じるとパー、折り曲げるとグーになる。これはまあ分かりやすい方です。

  • 足の指ジャンケン

→足の指でジャンケンする。特に足チョキが難しく、娘は出来るようになるまで一ヶ月かかった。

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  • 顔ジャンケン

→顔の向きでグーチョキパーを表現。これもわりかしイージーです。

  • 県ジャンケン

→娘が行った事のある県でジャンケンする。

千葉はパー、東京はグー、神奈川はチョキなど。

「ジャンケン、千葉!」「東京!」とかやってると途中で何が勝ちなのかわからなくなるので、記憶力が超重要。

  • 新しいジャンケン

→今までに無いジャンケンを創造する。特に勝ち負けはなく、新しい形を楽しむだけ。

 最高難易度の形は、全ての指で話輪を作る「フォラミ」。

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ちなみに「フォラミ」という名称はNHKのシャキーンという番組で紹介されてました。

 

このように、全く意味は無いですが、大人の固定概念を覆す斬新な遊びを次々と生み出します。大人は例え思いついたとしても、実際に行動にはしないですよね。(もし大人が新しいジャンケンしよう!など言ったらドン引きです)

しかし、大人としては如何かと思われる行動でも、子供の付き合いという大義名分を得れば一緒に楽しむことが出来るのです。

 

これを「楽しい!」と思うか、「馬鹿馬鹿しい、面倒臭い」と思うかが、子育てに向いているかどうかの一つの分水嶺なのでは無いかと思います。

私の場合はこういう馬鹿げた遊びに付き合うのは大好きです。テレビ見たりスマホでゲームするよりはよっぽど価値のある時間だと思います。

子供の成長は早いですから、こういう遊びに付き合えるのも小学校入学前までではないでしょうか?今だけ経験できるこの時間を大切にしたいと常々思っています。

他愛もないコラム(その5)

前から気になっている本のタイトル。映画化もされました。

「君の膵臓をたべたい」

 

以下ウィキペディアより抜粋。

 シビレ - Wikipedia

シビレ(英: sweetbread)はウシ、ヒツジ、ブタなどの胸腺や膵臓を意味する料理用語である。白い色でフワッとして柔らかく滑らかな食感と繊細な味わいがあり、特にフランス料理やイタリア料理などで食材として珍重される。

 

 

私なら膵臓より肝臓(レバー)が食べたいかなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…本当にごめんなさい。

本屋でこのタイトルを見る度にこのくだりを考えてしまうので、我慢できず書いてしまいました。

他愛もないコラム(その4)

テレビのCMで流れている「仕事がデキル人」のイメージが古すぎると思う。栄養ドリンクとか薬のCMで良く見られます。

「有能な上司が、手をまるで千手観音像のように残像を残して高速で動かし、机に高く積まれた大量の書類を処理する。そしてそれに惚れ込む女性社員。」的なヤツです。

 

こういうの。

 ハウス メガシャキ - YouTube

 

ほとんどの視聴者は苦笑しているのではないでしょうか?今だにそのイメージなのかと。

 

何故、このようなCMが存在するのか?時代の流れに敏感な(でなきゃいけない)CMプランナーがそんなイメージを持っているとは思えません。

発注側の担当者の受けを狙った?確かに商品の効果を表すイメージ映像としては派手でわかりやすいです。「わかりやすさ」というのはCMでは何よりも重要なのではないかと想像します。たとえウソ、大げさ、紛らわしい、そんなCMになったとしても!!

 このようなあまりにも時代遅れなCMばかりだと進歩が無いですよね。単に今までの慣習に従っただけというか…いわゆる「安全パイ」に乗っかっただけ。に見えます。

 

同じようなパターンとしては、

  • 妻が夫に対して皮肉めいた悪口を言い、主婦層の共感を誘うCM
  • 誰もしないような馬鹿っぽいミスをして「てへっ(≧∇≦)」的な笑いをとるCM
  • 最後に「いまなら〇〇貰えるッ!」って言うCM(今だけっぽく言うが、本当はいつでも貰える)

などがあります。

 

見るたびに「またこのパターンか…」と思ってしまいます。

これらの様なCMを見ると「ああ、製作者は慣習に負けたんだな」と思えて、なんだそのCMが墓標のように見えて悲しくなるのは私だけでしょうか。

はい。私だけですね。自分でも意地が悪いと思います。

 

まあ、CMの役割としては商品を広く知らしめるためであって、決して前衛的な作品を作ることでは無いですからね。

「安くて分かりやすいCM」というのは、発注者にも説明しやすく、作りやすいのでしょう。作りたいものかは別として。それは理解できます。私もサラリーマンですから。

 

そういう意味ではペプシの桃太郎のCMは、良くGOが出たなと思います。

ペプシストロング5.0GV 『桃太郎を助けよう!』篇 15秒 | #いざ鬼ヶ島 | 小栗旬 野村周平 サントリー CM - YouTube

このCM、今のところ割と意味不明ですよね。また俳優やCGも豪華で金がかかっていそうです。「高くて分かりにくい」という、安全パイとは対極の内容ですね。

どう着地するのか期待したいです。普段は全く飲まないペプシですが、製作者の応援のために買おうかなと思いました。

他愛もないコラム(その3)

選挙について。

 

「投票なんてしない。どうせ自分が一票入れなくても結果は変わらないし。」

みたいな事を言う人がいます。まあ、その気持ちは分からなくは無いです。

 

私は20歳の頃からなぜか投票はほぼ欠かさずに行ってきましたが「自分の一票が反映された〜!!」なんて実感した事は一度もないです。

 

でも、もし自分の一票が結果に反映されたら逆に怖くない? 自分の一票が日本の、自治体の運命を決めるなんて。

そういう立場になりたいと思うなら立候補した方が早いよ、と言い返します。

 

あと、誰に投票したら良いか分からないと言う人も多いです。

私だって分からないですし、みんな絶対的な自信があって投票しているわけでは無いでしょう。

もし、絶対的に正しい候補者がいるのであれば、それこそ投票しなくても良いです。みんながその人に入れるのですから。

まずは、何も分からなくても取りあえず投票してみるべきでしょう。どうせあなたの一票なんて結果になんの影響もないんだから、間違っても大丈夫でしよ?(そもそも間違いなんて無いですが)


投票した候補と、選挙結果と、当選後の政治活動を見ていくことで、自分のスタイルとして誰に投票すべきかがなんとなく分かってくるものです。


18歳以上で投票できるようになり、高校で選挙について教えないと!なんて慌てていますが、じゃあ今までは大学で教えてたのか?というと、もちろんそんな事はありません。みんな自分で考えて行動しているのです。

 

若いうちから投票しましょう。年寄りになってから投票し始めても既得受益者だと批判されるだけですから(笑)