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さて、どうする?

二児の父が日々思い付いた子育ての方針を書き留めるブログです。

子供が期待通りに学習してくれない!?

子供はスポンジが水を吸う様に何でも学習する。
子供は学習スピードが早い。

 

と良く言われますが、実際に子育てをしてみると、そんなことはありません。

学習して成果が出るまでにはディレイ(遅延)があるのです。

 

■言葉が遅れたうちの子の場合

 

うちの子の場合、2歳後半まではろくに言葉も喋れませんでした。
標準的には二語文も話せる月齢のはずですが、そのレベルには程遠く、簡単な単語を10個程度言えるというレベルです。
(一般的には単語なら100個以上は言えるはずです。)

 

この子は大丈夫かとハラハラさせてくれました。

 

海苔が大好物なので、言葉の練習として「のり」と言えたら一枚あげる、という事をしました。
「の」、「り」ですから単語としてはかなり簡単なレベルですよね。

 

しかし、その二文字が全く言えません。他の子は二文字どころか二語文すらペラペラだというのに…

 

一文字ずつ教えます。
私「の」
娘「の!」

私「り」
娘「り!」

私「のり」
娘「…?」

 

なんで言えないねん!?

 

一文字ずつなら発音できているので、あとは繋げるだけなのに…

何か原因があるのか、それとも娘の気分の問題なのか、どうしたら良いのか全く分かりませんでした。

 

言えなくてもある程度練習したら海苔をあげていたのですが、言えなくても貰えるものと学習してしまったのか!?
ここは厳しくした方が良いのだろうか?
そもそも物で釣る事自体が良く無いのか?

 

何日か同じ事を続けても全く出来る様にはならず、大丈夫かこの子は!?と絶望的な気持ちになりました。

 

やがてご褒美用の海苔も尽きてしまい、効果も感じられなかったため、この練習は自然にやらなくなってしまいました。

 


しかし、練習をやめてしばらくした後、娘はいつの間にやら「のり」を普通に言える様になっていました。
しかも「のりちょーだい」とまで!

 

いつから言える様になったのか、何がキッカケだったのか分かりません。

 

■言葉に出来ない彼女だけの『理由』


あの練習の中で「食べると美味しい黒いヒラヒラしたもの」が「のり」である事は、認識していたと思います。

こちらが「海苔あげる」というと、嬉しそうに海苔の缶を持って来るからです。

 

練習で「の」と「り」を単独では言えていたので、発音も問題無い事は確認できていました。
(もし、ここで問題が見つかった場合は病院に相談する必要があります。)

 

しかし、何らかの理由で言葉として発することは出来なかった。

娘の頭の中で障害となっている「何か」があったのでしょう。 


大人には、というか他人には決して理解出来ない、彼女だけの「何か」です。

 

■果報は寝て待て
 

発音と認識は出来ていたので、あとは娘の中で障害となっている「何か」を乗り越えるだけでした。

 

そこは他人にはどうにも出来ない領域なので、ある程度の反復練習を重ねたら、あとは成果が出るのを待つだけで良かったのです。


もしかすると、子供の成長が思い通りでないと我慢出来ずに罰(体罰に限らず)を与える親もいるかもしれません。

 

しかし最低限の確認と、必要なインプットを与えたら、あとは子供を信じて待ってみるのが良いと思います。

 

大人が焦ったり、叱ったりしたら逆効果になりかねません。果報は寝て待ちましょう。

 

 

ちなみに娘ですが、3歳になってからとつぜん学習スピードが急上昇し、それこそスポンジが水を吸う様に色々な事を吸収しています。

 

まだまだ人並みに、とは言えませんがかなり喋る様になりました。
毎日うるさくて、ほとんど話せなかった去年の今頃が懐かしいです(汗)


今日のポイント
•子供の学習には個人差がある。親が思う様には理解してくれなくても、がっかりしない様に。


•最低限のポイントを確認して、必要なインプットを与えたら、しばらく待つことも大事。

「忘れる力」を舐めるな、メモをとれ!

私はとても忘れっぽいです。

 

メモを書かずに買い物に行って、何を買うのか忘れてしまい、余計なお菓子を買って散財するなんて日常茶飯事です。

 

改善のために買い物メモを書いても、そのメモを家に忘れてしまいます(汗

 

普段の生活で仕事の良いアイデアや、次の週末に行きたいスポットを思いついたとしても、かなりの確率で忘れてしまいます。思い出すころには不必要になっていることが多いです。

 

 

100円均一ショップに行くと、何か買うものがあった気がするが思い出せず、不安になることはありませんか? 私はこれを「100均病」と呼んでいます。

100円均一ショップで何か買うものがあったはずだ!?と店内をウロウロしても思い出せず、帰ったあとで思い出して悔しい思いをする。または結局、何も買う必要はなく、無駄な悩みに終わるというものです。

 

 

思いついたことを、その場で実行せずに「後で」やろうとして、とりあえず元の行動に戻どる場合に忘れてしまうことが多いです。

おそらく脳の海馬が「重要じゃない単なる思いつき」だと判断して、脳に記憶させていないのだと思います。

 

そんなわけで、私は最近になって、ようやく「思いついたらその場で即時メモを取る」ことを始めました。

 

街の意見
メモを取るって、、、今さらそんなこと?

 

まあ、スマホで気軽に手書きや写真でメモして、かつ複数デバイスで共有できるようになったのはここ数年のことですからね。几帳面な人は紙のメモ帳を持ち歩いていたでしょうが、私はそんなにマメではありません。

 

街の意見
でも、脳が忘れるということは、やっぱり重要な情報ではないんじゃない? 本当に必要なことなら脳は覚えていられるはずだよ。

 

以前は、私もそう思ってたんですけどね。

人間の「忘れる力」は結構強力だと思いますよ。

例えば、肉親が死んだ場合、特に配偶者や子供が死んでしまった場合でも、人間はいずれは立ち直れるようにできています。

当初は本人も死ぬくらいのショックを受けるでしょうが、次第にそのショックは脳内から薄れていき、徐々に普段の生活に戻ることができるのです。

もちろん、死そのものを忘れるわけではありませんが。

 

これは「忘れる力」のなせる業だと思います。というか、そうでなければ人間ショックから立ち直れません。

 

つまり「死」ほどの出来事でも、時間がたてば忘れてしまうということです。

いくら重要な情報でも忘れるときは忘れるのです。

確実に覚えていると保証できることなどありません。

 

メモを取ることで、過去の経験から学んだことの積み重ねがとても捗ります。若いうちからメモ帳を持っていたら人生変わっていたかもな、と思うくらいです。

 

 

メモを取り始めてからは溜まる一方で、逆にアウトプット先に困ることになってしまいました。それでこのブログに吐き出すことにしたわけです。それがこのブログを始めたきっかけです。

 

正直言って、ブログを更新するペースよりもメモが溜まるペースの方が早いです。

ブログのネタにはしばらく困りませんが、書く時間が無い。。。

 

今日のポイント

・人間は死でさえも忘れることができる生き物である。忘れたくない事はメモを取ろう!

・突然の思いつきをメモするなら、次の行動を起こす前に書き留めろ。後でメモしようとすると忘れるぞ!!

愚者は経験に学ぶ?

賢者は歴史に学ぶ、愚者は経験に学ぶ

 
ドイツ帝国「鉄血宰相」オットー・フォン・ビスマルクの言葉と言われています。
 
自ら体験したことから学ぶだけではなく、歴史からも学ぶのが賢者だ、ということでしょうか。
 
これをひねくれて受け取ってしまうと、「我々は歴史から多くを学ぶべきだ!実体験からしか学ばないなんてアホのやる事だ!」などと考えてしまうかもしれません。
 
もっとひねくれると、「実体験よりも歴史が重要だ!」と受け取ってしまうかもしれません。
 
 
はい、私です。相変わらずイタイですね。
 
もしかしたら、この言葉を盾にして面倒なことを経験するのを避けていたのかもしれません。 
 
 
でも、それで良いわけないですよね。むしろ実体験の方が重要でしょう。
 
歴史から学べるのは普遍的な事実だけだと思います。
過去と現在では状況が違いますし、歴史上の出来事と全く同じ事なんて起こりますかね?
 
そもそも、我々が真実の歴史を知るのは不可能だと思います。
書籍やTV番組で歴史を勉強したとしても必ず作成者のバイアスがかかっているわけで、それを真実を思い込んでしまうのは危険でしょう。
「勝てば官軍」という言葉があるように、時代の勝者が都合の良いように歴史を作り上げるのです。
 
ましてや歴史上に導かれた結果が、自分にそのまま当てはまるかなんてわかりません。
もし「自分の考えとは違うな」と思ったとしても、歴史を妄信して自分の意に沿わない考えを貫いてしまうと、かえって良くない状況になります。
 
自分の心に耳を傾け、自分の意見を尊重して、その結果失敗したとしてもそれを検証して改善していくのが正しい道かと思います。
 
 
賢者は歴史に「も」学ぶ、くらいでちょうど良いのではないでしょうか。
 
今日のポイント
・「賢者は歴史に学ぶ、愚者は経験に学ぶ」は名言だが、実体験を大切にしよう。

若いころから失敗して経験値を貯めさせよう

「若いうちの苦労は買ってでもしろ」と言う言葉があります。

 

言わずと知れた名言ですが、私自身が中学生だったころは、この言葉は

「汚れた大人が若者をこき使うための嘘っぱち」

だと思っていました。

  

街の意見
あんた、どんだけひねくれた子供だったんだ……

 

ま、まぁ(汗

とにかく当時は、失敗なんて出来るだけ避けた方が良いじゃん!?

若い頃にわざわざ好んで苦労をしなくても、どうせ将来は嫌でも苦労はするんだから、トータルで苦労を少なくした方が人生お得じゃん!?

と、本気で思っていました。

 

まあ、あながち間違いでも無いですが…

徹底的に苦労を回避する人生も、もちろん有りだと思います。ただし、回避すればするほど、のちの人生にリスクを貯めこむことになりますが・・・

 

いつか大きな問題にぶちあたった時には、それまでに様々な問題を乗り越えた経験があれば、どう対処すれば良いかを自分で判断することが出来ます。

そうでなければ、問題に直撃して打ちのめされるか、逃げるしかありません。

 

もし、その時点でそれなりに年齢を重ねていると、抱えている責任が大きくなります。例えば仕事では部下を抱えていたり、家庭では配偶者や子供がいる場合などです。その場合、受けるダメージは若いころの比ではありません。

特に問題なのは、責任が大きければ大きいほど、周りの多くの人を巻き込むことです。防波堤になるべき上司や親が、重要な局面でアワアワしていたら困りますよね。

 

若いころにそのような責任が無いので、経験を貯めるにはうってつけの時期というわけです。いくら失敗しても本人と親が困るだけです。

また、経験を貯め始める時期は、早ければ早いほど良いでしょう。当たり前ですが、早いほど経験の総量は大きくなりますからね。

 

ただし、親が無理やり経験させるのは注意したほうが良いでしょう。「親から苦労を強制される」というネガティブな経験により、逆に苦労を避けるようになってしまうかもしれません。

自発的に失敗させるためには、子供の行動にたいして親がつべこべ言わないことでしょうね。普段から子供に安心して失敗させるような態度で接するのが良いと思います。

 

私の若いころは「経験を貯める」と言う概念(そんな大層なものでは無いですが)については、ほとんど意識していませんでした。

ある意味、そんなことは気にしなくても何とかなるさ、という若者特有の根拠なき自信というか楽観さがあったのだと思います。

若いころからの少しの挑戦、苦労の積み重ねが、結果として大きな力になる事を今さら噛み締めています。

 

今日のポイント

・責任の少ない若いころから、いろいろな失敗をして経験値を貯めさせよう。

・経験を貯めるのは、早ければ早いほうが良い。

・子供が安心して失敗できる態度で接しよう。

子供の遊びを止めるな

子供は遊びの天才です。

 

たとえ1人で道具やお金が無くても、何かしら興味のあるものを見つけるので、退屈する事はありません。

 

これからは「何かにハマる」ということは、とても大切なスキルになると思います。

何かにハマれるということは、それをやる才能があるということです。その才能を若い頃から出来るだけたくさん見つけるのが、親ができるサポートのひとつだと思っています。

 

周りから辞めろと言われても、辞められないほど楽しい遊びを持つのは、とても幸せなことです。

その貴重な遊びを大人の都合で、つまり受験や習い事を理由に辞めさせないようにしたいです。

 

街の意見
じゃあ、子供がスマホでずーっとゲームしていてもやめさせないの?

 

うっ、それは…難しい問題ですね。

ただ、スマホゲームはユーザーを熱中させるような仕掛けがてんこ盛りなので、興味があってやっていると言うよりは、ゲームメーカーの作戦にハメられているだけかも知れません。

 

その場合は、ゲームをやることに本当に価値があるかを考えさせると良いと思います。自分で判断して、価値が無いと思えばきっとやめるでしょう。

特にゲームはダラダラと続けがちなので、自分でやめ時を判断するのは難しいと思います。考えるキッカケを作ってあげるのが良いと思います。

 

子供の頃から、自分でやめる判断に慣れておくと、将来パチンコなどのギャンブルにハマる可能性も減らせるかも知れませんね。

 

 

今日のポイント

・辞められないほど楽しい遊びは、人生を幸せにする大切なもの。周囲の大人がそれを奪わない様にしよう。

・遊びの価値を子供に考えさせよう。

 

 

子供には一貫性を持って接しよう

初めまして、ノブタです。

 

3歳の娘と、1歳の息子を持つ父親です。

 

日々、仕事や子育てに奔走し、慌ただしさに埋もれそうになっている毎日です。

その中で思い付いた、子供に伝えたいアイデアや教訓などが流れ去ってしまうのが勿体無いと感じ、ブログという形で残そうと考えました。

 

子育ての方針を文字に残す事で、子育てに一貫性を持たせる事ができます。

父親としての態度がブレないように、子供に接するようにしたいです。

 

自分が子供の頃、それもまだ幼稚園児だったころを思い出すと、周りの大人が、発言や態度に一貫性が無かったりするとかなりの不信感を持ちました。

そうなると、表面上は普通に接しますが、心の中では全く信用せず、相談したり意見を聞く事はありませんでした。

(今考えると嫌な子供でしたね…)

 

大人になった今では、人間は状況により態度が変わることもあると理解できるので、多少の矛盾だけで信用しないなんてことは有りませんが、子供の無知であるが故に純粋な目で見ると一貫性と言うものは非常に重要なものです。

 

子供は、人生の先駆者(つまり周りの大人)から生きるための情報を得て成長します。それ故に、参考にすべき人かどうかを見極める目は、大人にも勝るとも劣らないのだと思います。

 

できるだけ、その期待には応えて行きたいと思っています。

今の世の中、テレビを見ても適当な事を言う政治家や芸能人が多く、何を信じたら良いかわからないですからね。

絶対的に正しい存在になる事は無理、というか有り得ないですが、子供が疑問を持った際に気軽に相談される存在にはなりたいと思ってます。

 

上にも書きましたが、私は不信感が強く、あまり大人に相談する子供ではありませんでした。

自分の子供には聞きたい事は素直に聞ける人間になって欲しいです。

 

 

そんな目的で書き残して行きます。