さて、どうする?

二児の父が考えた子育て方針の備忘録。

他愛もないコラム(その3)

選挙について。

 

「投票なんてしない。どうせ自分が一票入れなくても結果は変わらないし。」

みたいな事を言う人がいます。まあ、その気持ちは分からなくは無いです。

 

私は20歳の頃からなぜか投票はほぼ欠かさずに行ってきましたが「自分の一票が反映された〜!!」なんて実感した事は一度もないです。

 

でも、もし自分の一票が結果に反映されたら逆に怖くない? 自分の一票が日本の、自治体の運命を決めるなんて。

そういう立場になりたいと思うなら立候補した方が早いよ、と言い返します。

 

あと、誰に投票したら良いか分からないと言う人も多いです。

私だって分からないですし、みんな絶対的な自信があって投票しているわけでは無いでしょう。

もし、絶対的に正しい候補者がいるのであれば、それこそ投票しなくても良いです。みんながその人に入れるのですから。

まずは、何も分からなくても取りあえず投票してみるべきでしょう。どうせあなたの一票なんて結果になんの影響もないんだから、間違っても大丈夫でしよ?(そもそも間違いなんて無いですが)


投票した候補と、選挙結果と、当選後の政治活動を見ていくことで、自分のスタイルとして誰に投票すべきかがなんとなく分かってくるものです。


18歳以上で投票できるようになり、高校で選挙について教えないと!なんて慌てていますが、じゃあ今までは大学で教えてたのか?というと、もちろんそんな事はありません。みんな自分で考えて行動しているのです。

 

若いうちから投票しましょう。年寄りになってから投票し始めても既得受益者だと批判されるだけですから(笑)

理解出来ないモノを拒絶しない

自分の経験上ですが、「意味分かんねー」とか「これ一体何に使うの?」と疑問に思うようなモノやサービスというものは、大抵はちゃんとした意味や使い道があって、単に自分のスキルや知識が低くて理解できないだけ、ということが多いです。

 

もしそういうモノに遭遇したとしても、安易に「意味分かんねー」と言って拒絶せず、ちゃんと考えて理解する様にしたいです。それが良いモノかどうかはまた別の話ですが。

 

最近だと、例えば

CASH|目の前のアイテムが 一瞬でキャッシュに変わる

とか、

https://valu.is

とかですね。

 

正直に言って、どちらも私には理解できないシロモノです。

こう言う場合に、理解出来ない事を拒絶する事によってなんとなく勝った気になってしまいがちですよね。なんの意味も無いのでやめましょう。

 

また、流行っているからと言って、勝ち馬に乗った気分で優越感にひたるのもまた、意味が無いのでやめましょう。革新的サービスを利用していると、自分が優秀な人間の様な気になりますが、スゴイのはサービスであって利用者ではありません。

 

周りに流されて焦って参加する事は良く無いとは思いますが、まずは渦中に飛び込むことでより理解が深まるので、大火傷をしない程度なら良いのかも知れませんね。

ある意味でバクチですが、飛び込む勇気を持つことで道が開けるかも知れません。ダメだと分かったら退く事が出来る範囲なら、ですが。

 

世の中で「意味わかんねー」と言って笑い飛ばして良いのは、お笑い芸人のネタくらいですかね。

最近あまり見ませんが、お笑い芸人の永野とか全く意味不明なネタですが、TVでボケーっと見てると何と無く笑えてしまいます。

永野オフィシャルブログ「みんな笑顔になあれ」Powered by Ameba

若い人たちにとってはTVは化石の様な古いメディアですが、たまにはお笑い番組見てゲラゲラ笑って息抜きしましょう。

子供の勉強に対する親の注意点十ヶ条

うちの子達はまだ小さい(3歳と1歳)ので少し先の話ですが、小学校にあがり勉強が必要になったら、教育の方針として気を付けたい点がいくつかあるので、備忘録として書いておきます。

 

  1. 他者と比較しないこと
  2. 才能を褒めないこと
  3. 結果を褒めず、努力を褒めること
  4. 努力にご褒美を与えること
  5. 失敗を叱らないこと
  6. 無理やり勉強させないこと
  7. 一度の勉強量よりも、継続を重視すること
  8. 「やれば出来る子」と言わないこと
  9. 家での態度だけで判断しないこと
  10. 親が自ら勉強すること

 

いくつか分かりにくい内容を解説します。

 

才能を褒めないこと

これは安易に才能に頼らないようにする為です。

才能というものは実にあやふやなもので、小さい頃に努力なしに上手く出来てしまうと、才能に頼りっきりになり、いざ通用しなくなった場合には詰んでしまう可能性があります。

そうならないために、得意な事でも努力を忘れないように育てたいです。

 

結果を褒めず、努力を褒めること

もしテストで良い点数を取っても、それが努力の結果でなければ褒めないと言う事です。

逆に良い点が取れなくても努力をしたのであれば、褒めるべきです。

 

「やれば出来る子」と言わないこと

これは、結局はやらないと意味が無いので、言うだけ無駄だからです。

何もしてない子に「あんたはやれば出来る子だよ!」というと、「そうか、俺は出来る子なのか」と謎の優越感を抱かせるだけです。

もし言うなら「まずやらないと何も出来ないよ!」でしょうね。

 

家での態度だけで判断しないこと

家の中ではダラダラしていても、外(つまり学校や塾)ではマジメな態度で勉強している可能性があるので、総合的に判断する必要があります。

外では頑張って、家では休む事を重視している可能性もありますからね。親としては幅広い目で見る必要があります。

 

親が自ら勉強すること

当然ですね。親が毎日ビール飲んでテレビ見てたら子供が勉強するはずがありません。

 

 

さて、いくつ出来ることやら。これから、妻とも意識合わせをしないといけません。特に10は頑張らなければ( ̄▽ ̄;)

他愛もないコラム(その2)

学生時代に友人がこんなことを言っていた。

「階段ってすごいよな。どこまでも登っていける。考えた人すごい。」

 

何を馬鹿なと思ったが、考えてみると確かにそうかも、と思い直した。自分の前を少しだけ高くする。こんな単純なことだけで原理的にはどこまでも高く登っていける。人の足でだ。

 

実際に高い階段を作るにはだいぶ技術と物資が必要なので、突拍子もない高さにはたどり着けない。

でも、自然の階段、つまり山に登れば8000メートル上空にまで人の足でたどり着ける。8000メートルったら、もうちょっとで飛行機の高さ(10,000メートル)ですよ。そんな所まで人の足で。凄すぎる。

 

もっと気軽な(?)方法もあって、体に大きな風船をたくさん付ければもっと高くへ行ける。実にくだらない方法だけど、本気で挑めば成層圏まで行けるんじゃないか。まあ多分死ぬけど。

 

技術とすら言えないような簡単な原理で、トンデモない所まで行けると考えると、何故か分からないけど本能的に怖くなってしまう。

ちょっと理由を考えてみだが、たぶん「自然に対する生身の人間の挑戦」だからと思う。

昔、ギリシャのイカロスが蝋で作った鳥の羽で太陽目掛けて飛び立ち、落ちていったように、自然に対する挑戦はことごとく見えない何かによって弾かれるのではないかと思ってしまうのだ。

 

まあ、自分はそんな無茶なことは絶対にしない(というか出来ない)ので全く関係ないんですけどね。

それをするのが冒険家という人たちで、本当に尊敬します。自分には無理です。

他愛もないコラム(その1)

ものには最初から決まった名前があるのでは無いだろうか? 名付けるという行為は、あらかじめ決められている名前を発掘してあげる事では無いか? などと最近考えています。


例えばツィート(tweet)する、は英訳すると正確には「さえずる」ですが、多分それでは流行らなかったと思います。(あくまでも呼称についてです。サービス自体は便利なので流行ったと思います) 

やはり「つぶやく」が正解なのだと。安易な英訳に走らなかった、ちゃんと考えた担当者は偉いな、と思いました。

 

また「ググる」という言葉も、「グーグルで検索するという行為」があらかじめ持っていた名前が発掘されたものかと思います。

ヤフーは「ヤフる」とはならないので、残念ながらこちらはしっくりくる名前を持ってないようです。

 

夏目漱石の「夢十夜」で、仁王像を掘る彫刻職人が「木の中に仁王像が埋まっているので、それをノミと槌で掘り出すだけだ。間違うはずがない」と言う場面があります。

たしか小学生の教科書で読んだと思いますが、妙に納得してしまい大人になっても心に残っています。

 

それと同じで、きっと世の中のモノはあらかじめ持っている名前があり、それを掘り出すのが名付け親の仕事なんだろうな、と考えています。

 

我が家では子供の名前は、事前にはほとんど考えず、本人が生まれてから顔を見ながら決めました。正直に言うと、あらかじめ考えていた名前も少しはあったけど、結局はそれらは採用せずに、夫婦でジックリ赤子の顔を見て2人ともが「これだ!」と思えた名前をつけました。

 

字画や意味は考慮せずにインスピレーションだけで決めたので、何故その名前にしたのかと聞かれると説明に困るのが難点ですが、我ながら良い名付け方をしたなと自画自賛しています。

当の本人が気にいるかは、まだ分かりません。

オモチャくらい欲しいものを買ってあげようよ

タイトル通りですが、オモチャくらい欲しいものを買ってあげようよ。という話です。

私が4〜5歳頃のとてもガッカリした事件からの教訓です。

 

その1

何かの理由でオモチャを買ってもらえる事になり両親とデパートに向かいました。うちは経済的余裕はなくオモチャなんて容易に買って貰えないため、テンションMAXでした。

色々と見た結果、私はトミカパーキングが欲しいとリクエストしました。立体的な駐車場にトミカを走らせるのがとても楽しそうだったからです。自分の家でそのように遊ぶ姿を想像すると、楽しくて仕方がありませんでした。

しかし、色々と理由をつけられて却下されたのです。置き場所がないとか、そもそもトミカを持ってないのに駐車場だけ買ってどうするのか、などの理由です。確かに真っ当な理由だとは思います。

しかし、子供としてもそんなことは百も承知で、確かにその時点でトミカは持っていませんでしたが「いつかはトミカも買う」というを見ていたのです。その夢を打ち破られたように感じました。

 

完全にふてくされた私は「じゃあいらない!」と言って、両親に帰るように促し、車に乗り込みました。しかし発車すると思いきや父親が「ちょっと待ってて」と、ひとり店に戻って行くではありませんか!

「もしや、トミカパーキング買って来てくれるのでは!?」と期待したのはいうまでも有りません。完全に買ってくれるものと期待しつつ、父の帰りを待ちました。

 

しかし父が買って来たのは見た事もないような謎のロボでした。

ガンダムの様なテレビで放送しているものではなく、全く得体の知れないロボットでした。

コレジャナイロボ」と言うのが有りますが、まさにそのものです。

コレジャナイロボ オフィシャルサイト

 

子供心にとてもガッカリしたのは言うまでも有りませんが、それ以上に困ったのは、このテンションの上がらない謎のロボをどう扱うか?でした。

せっかく買ってもらったオモチャなので、遊ばない訳には行きません。親の気持ちも考えて、仕方なく表面上は楽しそうに遊ぶ事にしましたが、子供心に何故この人たちは欲しくもないオモチャを買って喜ぶと思っているのだろう?という疑問が残り、とてもモヤモヤしました。

 

その2

クリスマスプレゼントに当時CMをやっていた「空気圧で動く車」をリクエストしました。車に搭載するタンクに手押しポンプで空気を入れ、その空気圧を動力として車輪を動かす仕組みです。

 

こんな感じのやつです。デザインはもっと昭和風でしたが。

エコの波が玩具にも:空気エンジンで時速20キロはだてじゃない! セガトイズ、「爆音爆走 エアゼロ」を7月に発売 - ITmedia LifeStyle

 

さて、クリスマス当日、私の枕元にあったのは希望通り空気圧で動く車!……ではなくバイクでした。

確かに空気圧で動く原理は同じです。違うのは車輪の数だけと言って良いでしょう。

しかし私が欲しかったのは、CMでやっていた「空気圧で動く車」だったのです。言ってしまえばこれはパクリ商品でありバッタモンなのです。

80%は希望に合っているのに、残りの20%が違う事でなんだかとても残念な気持ちになりました。

ちなみにこのバイクは数日遊んだだけで空気口が破損して空気を入れられなくなり、ただのオブジェになりました。(所詮はバッタモンだからか?)

 

結論

子供がリクエストするオモチャには必ず理由があります。しかし子供には話術が無いので大人を説得する事は難しいですし、説明しても細かすぎて大人には理解出来ないかも知れません。

 

しかし、子供なりの理由は確実にあります。プレゼントは子供にとって一大イベントです。それくらいは子供の望み通り買ってあげましょう。同じ商品である事は当然ですが、色やオプションも希望通りに。期待を裏切られた時の残念な気持ちは、子供でも辛いものです。たった数千円ケチっただけで与えるダメージは計り知れません。

 

もしかしたらその場の思いつきで欲しがり、長くは遊ばないかも知れません。しかしそれでも良いじゃないですか。子供からの信頼は得られるのですから。

 

子供の頃から欲しいものを手に入れたらワガママになる? そうは言っても、これからの人生思い通りにならない事ばかりですよ。子供の時くらいは夢見させてあげましょう。プレゼントという(大人にとっては)小さな事ですが、いわゆる成功体験をさせてあげる事が重要と思います。

 

賢いお金の使い方とは?

前回のエントリの続きのようなもの。

 

前回はモノを買う時には少しだけ「敬いの心」を込めるようにしたい、と書きました。

書いてから一週間程度経ちましたが、やはり感覚的に正しいな、と感じます。

論理的に正しいでは無く、感覚的に正しいというのが重要です。

 

さて、話は変わりますが、人生の決定事項において「お金」を基準に考えてしまうと、自分の中の価値観が狂ってしまうという話です。

 

お金というのは単に社会を円滑に運用するためのツールに過ぎません。人々の生産物を円滑に取引するための共通の尺度としての機能です。

紙幣や硬貨の形をしていますが、お金としての実体は無いようなもので、単にみんなが使っているからという理由だけで成り立っている不思議な存在です。

(あまり詳しく無いのでツッコミどころはあると思いますが、私の認識はそんなものです。)

 

お金を基準に合わせるという事は、自分の価値観を周りのみんな、つまり社会の判断基準に迎合させる事になります。

逆に言えば社会の基準に合わせて生きようとすると、どうしてもお金が必要になります。

 

しかし、残念ながら、お金は強者に集まる仕組みになっています。能力のある人、運のある人に集まります。そうで無い人には最低限のお金しか与えられません。

 

やりたいことがあるのに、お金が無いから出来ない、というのは悲しいことです。

お金が稼げない=社会的弱者のように悲観的に考えてしまう事もあります。

そんな事は無いと否定したいのは山々ですが、お金が社会の基準になっている以上、お金が無いと社会的な立場は弱くなってしまいます。特に教育や医療の場面では顕著に差が現れますよね。

 

家が欲しい、車が欲しい、海外旅行に行きたい、外食したい、、、人間には色々な欲望があります。それらを叶えるためにはお金が必要です。もう痛いほど身にしみてますが…

 

全てを叶えられるのは一部の人でしょう。

そうでない人は、まずは自分が本当にやりたい事は何なのかを見極める事が重要と思います。

たとえば高級車が欲しい、海外旅行に行きたいのような欲求であれば、それは周囲に影響されて憧れているだけかもしれません。もし、周りが持っていなかったとしても欲しいと思うか?を想像してみると良いと思います。

もしかしたらほどんどのものは不要になってしまうかも知れません。

 

そうして余計なモノをそぎ落とした結果、残ったモノ=本当にやりたい事に対して自分の稼げる額を投入する。

そして、それ以外の低優先のモノに対しては、我慢する手もアリですが、頑張って稼ぎを増やして手に入れるのが健全な姿かと思います。

先ほどは必要なものだけあれば良いような事を書いておきながら、いきなり真逆の事を書いていると思われるかも知れません。

が、最低限の事は確保しつつ、さらに上を目指して頑張るためのツールとしてお金を利用するということです。本来は必要の無いものと割り切っているので、手に入らなかったとしてもショックは少なく済みます。

 

お金に使われるのではなく、お金を使う方に回りましょう。

 

それがお金に対する正しい態度ではないかと考えています。

 

今日はこんなところで。