さて、どうする?

二児の父が考えた子育て方針の備忘録。

将来なりたい職業を聞くのはアリなのか?

子供の頃は誰でも親や親戚から「将来何になりたいの?」と聞かれるものです。

もちろん私も多分に漏れずその質問をされていました。小学校低学年頃までは「電車の運転手」と答え、高学年になると「技術者」になりました。

大人からは「オー、スゴイネー。ベンキョーシナクチャネー。ガンバッテネー」という反応が返ってくるのですが、どんな内容が返ってきても私は少し不快な気分になりました。自分の夢に対して他人に評価されているようで嫌だったのです。それがたとえポジティブな評価だったとしても…

 

そもそもこの質問。基本的に子供のためではありません。親の立場としては子供が何に興味があるかを確認して安心したい。親戚などその他の人達は単なる興味本位でしょう。

例えば、「花屋さん」とか「ケーキ屋さん」とか「警察官」など、誰でもわかるいわゆる普通の職業を期待しているように感じます。

「サラリーマン」とか「公務員」のよう現実的な、いかにもレールに乗っかった様な答えだった場合、内心では「夢がない奴だ」なんて思われているかも知れません。

 それならまだしも、「ベンチャー経営者」、「投資家」、「ユーチューバー」のようなよく分からないモノを言われた場合は否定されてしまうかも知れません。楽して稼ごうとするんじゃない!的な。

子供の立場としては、せっかく夢を持って答えたのに否定されてはたまりません。子供心に「他人に言われたくねーよ」と思うでしょう。

 

もし私が自分の子供達にこの質問をして、意外な答えが返ってきた時に、自分がどう反応してしまうかわかりません(例えば「葬儀屋」になりたいと言われたら?立派な職業ではありますが…)。どんなに気を付けていてもネガティヴな反応をしないという自信はありません。言葉に出さなくても、表情を隠すことは難しいですからね。子供はそのような反応を見逃しません。それを「親からの拒否」と受け止めて、自分のやりたいことを変えてしまうかも知れません。特に子供が「良い子」の場合は危険です。

だから、下手に聞くのは怖い質問だなと思っています。

 

むしろ「何になりたいか」を聞くのではなく、「こんな職業もあるよ」ということを普段の生活の中で自然な形で教えてあげたいです。

世の中の全てのモノは、誰かが作ったものです。服や食べ物はもちろん、勝手に流れているテレビ番組やCM、100円ショップで売られてる意味不明な人形、食パンの袋を閉じる用のあまり効果のないクリップ、米粒より小さいビーズや大きな建物や公園。一見自然に見える山や川も人の手が入っています。目に見える範囲で人の手が入っていないのは…ほとんど無いですね。「空」くらいかな。

 

世の中の五感で感じとれること全てから、自分の考えで何をしたいのかを感じ取ってほしいと思います。別に一つに絞らなくても良いし、コロコロ変わっても良い。

そして親としてはあえて質問をせずに、子供の普段の言動から将来何をやりたがっているかを察するのが良いと思います。常日頃から子供が興味の対象を観察する必要があります。

 

もちろん一筋縄ではいかないと思います。理想論かも知れません。でもそれをするのが親の役目だと思っています。

最近は物事を始める敷居が低すぎて困る

タイトル通りですが、

世の中便利になると困る人もいる(まあ私ですが)という話です。これは年寄りの戯言だと思って下さい。決してこの話には共感しないようにお願いします。


昔は映画を撮りたければ、お金を貯めて8mmフィルムカメラを買う必要があった。いまはスマホででき、しかも親が買ってくれたりする。


昔はプログラミングしたければ、学校のサーバ室でマシンタイムを取って作業しなければならなかった。記録媒体はカセットテープで、簡易的なプログラムでも読み書きに30分とかかかった。エラーも多く、30分待ってもよく無駄になったりした。今は数千円のラズパイがあり格安のネット環境があり記録先はクラウドで開発環境は無料だ。


昔は芸を披露するには演芸場や酒場に売り込む必要があった。お金をくれる人もいれば、ビール瓶が飛んでくることもあったと聞く。今はYoutubeやニコ動がある。しかも広告まで付けてくれて勝手にお金まで稼いでくれる。


昔は投資したければ証券会社に電話をかけて売買注文しなければならなかった。数百万程度の小金では鼻で笑われる事を覚悟しなければならなかった。今はスマホから注文出でき、1か月に数千円からでも投資可能だ。


昔は何かを学ぶなら都会へ出てお金を払って学校に通う必要があった。今ではほとんどネットで有用な情報を入手できる。入門程度の情報なら費用はかからないので、自分に合わないと感じたら懐が痛む前に撤退する事が出来る。


昔は恋人を作るならほぼ友達からの紹介だった。いまはSNSで同じ趣味を持った人を簡単に探す事が出来る。


もちろんそれなりの結果を残すためには、昔と同様に努力と才能が必要だ。しかしやるかやらないかであれば、ほぼ障害なんて無くなってしまったに等しい。◯◯が無いから出来ない、という言い訳はもう通用しなくなってしまった。今の時代、何かをしないということは単なる怠惰だという事が白日の下に晒け出されてしまった。非クリエイター的な性質を持つ私のような人の立場としては、何ともやりづらい世の中になってしまった。


今の時代に子供を教育するのに最も大切なことは「何事も挑戦するのを躊躇しない」「無駄や失敗を恐れない」ように育てる事かも知れない。

現代は一見すると「効率化」が神のようにもてはやされているように見えるが、実は「無駄」な経験をどれだか積むかが重要になってきていると思う。最も怖いことは、無駄を恐れて何もしない、という事だ。

何か卓越した才能があることよりも、何事も躊躇せず失敗しても再び立ち上がるタフな性格を持つ方が、世の中をサヴァイヴ出来る様にみえる。簡単にいえば行動を「やめない」だけで良いのだが、それが難しい。

いろんな事に挑戦し続け、成功も失敗も積み重ねる事で経験値を貯めさせるべきだろう。それにはまず親が挑戦する姿を見せなければならない。

 

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。

 

本当に面倒くさい世の中になったものだ。

40歳会社員男性(既婚、子持ち)が考える生きている実感とは?

前回からの続きです。

 40歳会社員男性(既婚、子持ち)が考える幸せの定義とは? - さて、どうする?

努力して幸せな時間が増えたとします。わーい。

で?どうする?

 

幸せだけでは生きている実感がないと思います。というか、むしろ幸せよりも「生きている実感」の方が重要かもしれません。何となくでもいいから「人生が前に進んでいるな」とうい感覚が欲しいのです。


個人的には、生きている実感がある事を「良い風が吹いている」と呼んでいます。
ウルフルズの曲『僕の人生の今は何章目くらいだろう』に出てくる「気持ちいい風を魂に吹かす」というフレーズが好きで、それから取りました。)

 

順風満帆という言葉がありますが、まさにそれが理想の状態です。良い風が吹き、それを全面に受けて前に進む。そういう実感が欲しくなります。人によって表す言葉は異なりますが、イケてる、調子がイイ、という感じです。

 

逆の状態は「停滞」です。イケてない、調子悪い。人が羨むような仕事や家庭があっても、停滞していると感じる事はあるでしょう。たとえ幸せだったとしても、その停滞感は人を憂鬱にさせます。

 

何をもって「良い風が吹いてる」か「停滞している」と言うのか。基準は人それぞれです。仕事の進捗率、貯金の額、他者への貢献度、趣味の充実度、などなど。

明確な基準を見つける事はなかなか難しいですが、これも考えるよりは感じるものだと思います。明確な理由は無いけど「なんか最近停滞気味だなあ」と思う事は誰にでもあると思います。考えてもハッキリとした理由はよくわかりません。

 

やっぱり

Don't think. Feel.

なのです。

 

停滞していると感じたら抜け出すための工夫が必要です。 その方法は…ただひたすらに前に向かってもがくだけです。スマートな解決方法があれば誰か教えて下さい(´;ω;`)

 

全然まとまって無いけど、こんな感じでもがくだけです。もがもが。

・とにかく今できる事をやる

・スピードが大事

・作戦よりも行動

・迷ってる暇があるなら前に進む

・先のことを考え過ぎない

・失敗を想定しすぎない。失敗を責めない。

いつか停滞から抜け出せると信じる

 

そもそも考えてもわからないから停滞しているのであって、それ以上考えてもドツボにはまるだけ。結果はどう出るか分からないけど、とにかく思いつくことをやって前に進むしか無い!

Don't think!

 

ただ、停滞=悪なのでしょうか?

イケイケな時は何でもどんどん進めてしまいがちですが、それが本当に正しかったのか?とは見直さない事が多いです。順調に進んだのは良いが、これは本当に正しかったのだろうか?と。

それを、後ろを振り返って見返すのが停滞期なのだと思います。イケイケの時には見えていない、新たな視点からの検証です。その期間に今までの行動を見直し、良い所ダメな所を冷静に分析し、今後の糧とします。

つまり停滞はダメな事ではなく必要な事。そして次に良い風が吹いた時には、より正しい選択が出来るように準備します。

 

停滞は誰にも必ず起こりえることであり、次に繋がる準備期間だと思えば落ち込む必要なんて無いと理解できるでしょう。

停滞を感じたら、抜け出す努力をしつつ、今までの行動を振り返りましょう。きっと新たな発見があるはずです。

 

そして、何よりも「幸せ」であることが、次のステップを踏み出す原動力となります。「不幸」に疲れていては次へ踏み出す力が湧いてきません。

 

まとめ

・「幸せ」はただの一過性の感情である。「幸せ」かどうかを考えることに意味は無い。

・好きな事、嬉しい事を沢山やることで「幸せ」な時間を増やす事が出来る。

・「幸せ」だけではダメで、自分の人生に「良い風」が吹かなければならない。

・停滞したら考えずに、凹まずに意識的に前を向くようにしよう

・停滞は必ずしも悪い事ではない。その期間に新たな視点で見直して、次への糧にしよう。

・「幸せ」は前に進む原動力

 

皆様が良い人生を送れるようお祈りいたします。

40歳会社員男性(既婚、子持ち)が考える幸せの定義とは?

たまに「自分は幸せか否か?」をぼんやりと考えたりします。特に何か不満があるわけでなくとも、ふと何気ないタイミングで頭の中にポッと浮かぶのです。

ただ、殆どの場合は

「まあ健康だし、仕事もあるし、妻も子もいるし、幸せな方だよな」

と言うありきたりな結論になります。

 

でもなーんか引っかかるのです。心にモヤモヤっとするものが。自分は本当に幸せなのだろうか?何をもって幸せと言えるのか? いやそもそも、

 

「幸せ」とはなんだ? 

 

ちょっと考えてみました。

幸せは「お金」や「身分」や「権力」では無いと良く言われます。確かにこれらがあれば必ず幸せになる、とは限らないでしょう。でも無いよりはあった方が良いように思えます。

じゃあ、「愛」や「友達」や「恋人」なのでしょうか? なんとなく幸せっぽい気がしますね。でも、これだけでは生活に困るような…

 

結局「◯◯があれば幸せになれる」という前提自体が違っているのではないでしょうか?

恋人や友達がいなくても、お金や仕事が無くても「幸せだ」と思える瞬間は誰にもあります。

人が「置かれている状況」と「幸せ」かどうかは、実はあまり関係ないと考えています。

 

ざっくり言うと、

「幸せ」=楽しい、嬉しい、気持ちいいと思う一過性の感情

 

だと思ってます。

 

自分が「幸せ」かどうかを考える意味は無い。

今の状態が、楽しいか、嬉しいか、気持ちいいかどうかは、考えるまでもなく直感的にわかるでしょう。むしろごちゃごちゃと考えない方が感じやすい。

いわゆる有名なブルース・リー

Don't think. Feel.

というやつです。

 

それが幸せなのです。

 

難しく考えるから悩んでしまうのです。

幸せなんてたかが一過性の感情です。何か「幸せ」という「ゴール地点」があって、それを目指すべきだと考えるから話がややこしくなるのです。ゴール?そんなものは無い。と考えれば気が楽になります。

 

今日の私は、仕事はあまり進まなかったので不幸な感じで、家に帰ってご飯食べて子供と遊べば幸せです。 なので今日は不幸のち幸せ、と言ったところでしょうか。

明日はどうなるか分かりません。

 

もし日々の生活で「不幸だなあ」と感じることが多ければ、何か幸せになれる事を積極的にする必要があります。例えば、好きなものを食べる、温泉に浸かる、好きな本を読む、何でも良いです。お金をかける必要もありません。ただ、自分が幸せを感じているかを意識するだけです。

また、避けられるのであれば不幸な気持ちになるのを避けた方が良いでしょう。例えば、インターネットやテレビで人の悪口、批判などを見ていると気が紛れるようですが、実は自分の気持ちが削られるので見ないようにしています。また、やるべき事を放置したりすると心にモヤモヤが残って疲れるので、頑張って処理したり。

そうやって、1日のなかで幸せな時間を増やし、不幸な時間を減らしていく努力が必要です。何もしないで不幸だと嘆いているだけでは改善しない事はわかると思います。幸せは歩いては来てくれません、だから歩いて行くのです。

 

さて次の疑問。

 

幸せなら良いのか?

 

いうこと。

努力して幸せな時間が増えたとします。わーい。

 

で?どうする?

 

となりますよね。

長くなってきたので、続きは次回。

(更新しました)

40歳会社員男性(既婚、子持ち)が考える生きている実感とは? - さて、どうする?

 

目の前の奇行に想像を巡らせたら最終的に泣きそうになった話

数ヶ月前の話ですが、仕事帰りにこんな光景を見ました。

 

忙しい時期だったので夜11時頃に会社を出て、家路につくためにJR横須賀線に乗った時の事です。遅い時間帯でしたが乗客は多く、シートは満席でつり革も8割程度は埋まっている状況でした。

 

私は幸運にも座れていたのですが、対面席に座っている男性客がおもむろにカバンから弁当箱を取り出し、その場でムシャムシャと食べ始めたのです。

「なん…だと…!?」

私は目を疑いました。

 

利用している人は分かると思いますが、首都圏のJRの車両はシートが結構狭いです。両脇に体格の良い成人男性が座ると、とても身動き出来ません。また、夜遅くまで一生懸命働いた人々が大勢乗っている電車はほのかに体臭が漂っており、私ならとても食欲は湧きません。

 

そんな中、その男性は膝に置いたカバンをテーブル替わりにし、身をよじらせながら弁当をガツガツとかきこんでいたのです。恐らくは恥ずかしいのでしょう、少しでも早く食べ終わりたい気持ちが目に見えて分かるほど、ガッついて食べ急いでいました。

 

皆さんはこの光景をどう思いますか?

私は正直、ドン引きでした。恐らく周りの乗客もそうだったと思います。

何をやってんだこの人は? 電車で弁当食べるなんて非常識じゃない?つーか、恥ずかしいならここで食うなよ。帰ってから食えよ。◯鹿じゃないの? と。

 

しかし、冷静にこの男性の立場になって考えて見たところ、むしろ逆にこの男性の行動に優しさを感じ、最終的には少し泣きそうにさえなったのです。

 

まず、夜11時の電車に乗っている時点で、この人はかなり仕事が忙しいと思われます。手付かずの弁当があると言うことは、昼食も取れないほどに忙しかったはず。

しかし、奥さんが作ったであろう愛妻弁当をそのまま持ち帰るとどうなるか。きっと夕食は用意されているでしょうから、手間暇かけて作った弁当は食べずに廃棄する事になるでしょう。仕方がないとはいえ、彼はそれを許せなかったのだと思います。

そのため「ほぼ満席の電車内で弁当を食べる」という修羅の道を選んだのだと思います。恥ずかしい?臭くて食欲が湧かない? そんなことは関係ありません。全ては弁当を作ってくれた奥さんへの感謝と愛情のためです。

そしてきっと彼は、帰宅後にいつもと同じように空の弁当箱を渡して「ありがとう、美味しかったよ」と言うのでしょう。実は昼に食べる時間も無いくらい忙しく、帰りの電車内で他の乗客に見られながら食べている事など一言も口に出さず、いつも通り振る舞うことでしょう。

そこまで想像した時点で胸がジーンとなり、少し泣きそうになりました。 あんたいい人だねぇ(´;ω;`)

 

 

…はい、全て私の憶測です。実際の理由は知る由もありません。 

 

ただ言いたかったのは、一見奇妙に見える行動にも実は正当な理由があるかも知れない、と言うことです。ただ一瞥して「◯鹿じゃねーの?」で終わらせてはいけません。何事にも理由はあります、ただそれを知る術が無いだけです。

 

それだけです。

子供相手でも適当にあしらってはいけません

子供からの要求には何でも真摯に応えたいなあ、と思っております。

欲しいものを好きなだけ与えるとか、質問に全て答えてあげるとか、何処へでも連れて行ってあげるとか、そう言うことではありません。

子供の期待に沿えないとしても、ちゃんと応えてあげたいのです。

 

言い方を変えれば「軽くあしらう」と言うことを絶対にやりたくありません。子供だとしても「あっ、今適当に軽くあしらわれたな」と見透かされるからです。悪気は無かったとしても、一人の人間として否定するのと同然の行為だと思います。

 

色々なシチュエーションはありますが、子供が何らかのアクションを起こした事に対して、話を聞いたり、何をするのか理解しようともせず、頭ごなしに以下のような事を言う人は結構多いと思います。

 

・忙しい状況で、今全く必要のないことを要求された場合。(例: 今から出掛けるのに、DVD観たいと言いだす)

→今忙しいからそんなわがまま言わないで!

 

・何の脈絡もないありえない要求をされた場合。(例: 今からディズニーランド行きたい!と突然言いだす)

→そんな馬鹿なこと言ってんじゃないの!

 

・静かにするべきシチュエーションで騒がれる(例: 電車などで)

→シーッ、うるさいよ!黙ってて!

 

言ってることは正しいのですが、言い方が良くないため子供の心に傷付ける事になってしまいます。正しいことでも頭ごなしに否定されたら大人でもムッとしますよね。

たまに言ってしまう程度ならまあ「愛のムチ」的な指導として許容範囲かとおもいますが、口癖になっている場合は要注意です。

 

じゃあどうしたら良いかというと、拒否する理由と、どうすれば出来るかを言うだけで良いと思います。

・今は◯◯だから出来ないんだよ。後でやろうね。

・それをやるのは難しいね。◯◯なら出来るよ。

・他の人が迷惑するからやめようね。家に着いたら好きなだけ騒いで良いよ。

 

まあ、理由を説明されたとしても子供が簡単に納得するわけではありませんので、同じ事を根気強く何度も言い続ける必要があります。

注意事項としては、納得しないからといって途中で主張を変えない方が良いでしょう。

「あ〜わかったわかった、だったら勝手にやってくれ!」のような感じで急に許可されてしまうと、誰でも困惑しますし、一貫性が無いと信用をなくします。

 

焦っているとついつい子供を軽くあしらってしまいますが、癖にはならないように注意です。少しでも真摯に応えるようにしたいものですね。

子供の無意味な行動に付き合える幸せについて

幼稚園児位までの子供は、やりたいことはストレートに実行し、やりたくないことはやらない。行動の結果や意味なんて考えないし、空気も読まず、人からどう見られるかなどとは気にしません。

子供がそのように自由に行動しているのを見ると、こちらまで幸せな気分になります。

 

私が出勤する時、娘が玄関で手を振ってバイバイするのが毎日の習慣ですが、最近は飽きてきたのか、手の代わりに足を振る「足バイバイ」や尻を振る「尻バイバイ」を編み出しました。

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 負けじとこちらも足や尻を振って応戦します。いい大人が出勤前に何をやっているんだ。

 

また、娘はジャンケンが好きで、毎日寝る時に勝負するのですが、これも普通では飽きてしまい、色々なバージョンのジャンケンを生み出しました。

  • 足ジャンケン

→足を開くとチョキ、閉じるとパー、折り曲げるとグーになる。これはまあ分かりやすい方です。

  • 足の指ジャンケン

→足の指でジャンケンする。特に足チョキが難しく、娘は出来るようになるまで一ヶ月かかった。

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  • 顔ジャンケン

→顔の向きでグーチョキパーを表現。これもわりかしイージーです。

  • 県ジャンケン

→娘が行った事のある県でジャンケンする。

千葉はパー、東京はグー、神奈川はチョキなど。

「ジャンケン、千葉!」「東京!」とかやってると途中で何が勝ちなのかわからなくなるので、記憶力が超重要。

  • 新しいジャンケン

→今までに無いジャンケンを創造する。特に勝ち負けはなく、新しい形を楽しむだけ。

 最高難易度の形は、全ての指で話輪を作る「フォラミ」。

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ちなみに「フォラミ」という名称はNHKのシャキーンという番組で紹介されてました。

 

このように、全く意味は無いですが、大人の固定概念を覆す斬新な遊びを次々と生み出します。大人は例え思いついたとしても、実際に行動にはしないですよね。(もし大人が新しいジャンケンしよう!など言ったらドン引きです)

しかし、大人としては如何かと思われる行動でも、子供の付き合いという大義名分を得れば一緒に楽しむことが出来るのです。

 

これを「楽しい!」と思うか、「馬鹿馬鹿しい、面倒臭い」と思うかが、子育てに向いているかどうかの一つの分水嶺なのでは無いかと思います。

私の場合はこういう馬鹿げた遊びに付き合うのは大好きです。テレビ見たりスマホでゲームするよりはよっぽど価値のある時間だと思います。

子供の成長は早いですから、こういう遊びに付き合えるのも小学校入学前までではないでしょうか?今だけ経験できるこの時間を大切にしたいと常々思っています。