さて、どうする?

二児の父が考えた子育て方針の備忘録。父親目線で育児について気づいた事を書いてます。

別に分かって貰えなくても良いよね

唐突ですが、私はおにぎりが好きです。

 

妻が作ってくれる愛情が込もっているものも、子供の頃に母が作ってくれた優しさが溢れるものも、自分で作った不恰好なものも、コンビニで売っている如何にも「商品」といったものも、それぞれ好きです。

 

海苔がしっとりしているのも、パリパリなのも両方とも好きです。むしろ海苔が無くても好きです。あと、滅多にお目にかかりませんが、トロロ昆布で巻いてあるやつも好きです。口に含んだ瞬間に広がる磯の香り…最高です。

 

丸いのも、三角のも、四角のも、最近流行りの握らないやつも好きです。メガ盛りブームに乗っかった巨大なやつも、色々な味の小さいのがぎっしりとパックに詰まったやつも好きです。

 

人肌程度のベストな温度のものを遠慮なくかぶり付くのも、作りたての湯気が立っているのをハフハフ食べるのも、作ってからしばらく経って冷えたのをしんみり食べるのも好きです。時間が経っていると、自重で多少硬めに締っているが、なお良いです。

 

具材だって、梅でも鮭でも昆布でもツナマヨでも海老マヨでも青菜でも松前漬けでも肉味噌でも牛カルビでも漬けマグロでも何でもウェルカムです。というか、ただの塩むすびでも好きです。

まだまだ、試していない具材が世の中にはたくさんあるはずですが、きっとそれらも好きです。確信があります。

 

家族と食卓を囲んで賑やかに食べても、独りで会社のデスクで食べても、お日様の下で食べても、どのシチュエーションで食べても美味しく頂けます。みんな好きです。

 

食べるときにほのかに感じる海苔の香りが素晴らしい。食べる前からもう「おいしい」のです。

適度な硬さに握られたお米の食感、具材とお米のハーモニー、どれを取っても非の打ち所がありません。

しかも誰でも簡単に作れてしまう。携帯性も抜群です。機能性にも優れる最高の料理です。

 

しかし、こんなに書いておきながら、私は普段それほどおにぎりを食べません。何故ならおにぎりはいつでも作れるからです。おにぎりは逃げたりしないのです。いつでも食べられるという心に余裕があるから、そんなに食べなくても平気なのです。必要なときにいつでもそばに居てくれる、という安心感があるゆえです。

 

もし最後の晩餐というものがあるのなら、私はおにぎりと味噌汁とたくわんを選ぶと思います。

もちろんその時のおにぎりは、妻が作ってくれるものでも、母が作ってくれるものでも、自分で作った不恰好なものでも(以下略)

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別にみんなに分かって貰えなくても、共感されなくても良いから、ただ自分が漠然と好きだと思ったものを思う存分書いてみました。自分の想いを気を使わないで書く事は大切だと分かったし、何より楽しい😄

 

明日見返したら何書いてるんだ!?と思うこと間違い無いが、そういうのも良いよね。

 

走り出す前に考えること

行動を起こす際には計画が重要だということについてはあまり異論はないと思います。

とはいえ、衝動に駆られ考える前に動きだすタイプの人も多いと思います。今すぐにやりたい事がある!立ち止まってなんていられないぜ!走りながら考えるんだ I can't stop! 

もしくは部下などに対し、今すぐやれ!遅れは許さない!最速で完了させろ!考える暇があるなら手を動かせ!Don't think, just do it!

 

…そんな人は、動き出す前にちょっとだけ考えた方が良いです。急いては事を仕損じる、という諺がある通り、常に今すぐに!大至急で!なるはやで!ASAP(as soon as possible)で!で行動していると痛い目にあうかもしれません。

 

では、何をどう考えたら良いのでしょうか?

やるべきことはたった3つです。

 

本当は何がしたいのかを考えよう

人が思いつきで行動するとき、100%自分の意思で動いていはいますが、本当に望むゴールに向かっているのか、本当は何がしたいのかを良く分かっていない事が多いです。

『時間・金・資材・能力』という制限がある中で思いついたことは本当に自分のやりたい事なのでしょうか?

もしこれらの制限が無かったら何がしたいのか、自分の理想とするゴール地点を一旦思い描いてみるべきです。

(例)

最初の衝動)将来のために何か資格を取ろうかな。とりあえずTOEICでも受けておくか!

そもそも英語を勉強して何がしたいのだろう?海外の人と話がしたいし、英語を活かした仕事がしたい…

理想の目的)どうせなら外資系企業でバリバリ国際的に働きたい。

 

漠然としたTOEIC受験という目標から、実は国際的な活動がしてみたかったという隠れた願望を持っている事に気がつきました。

 

現実的な落としどころはどこか?

ただし、理想を把握したところで実際に叶えることは難しいでしょう。現実的には時間もお金も才能も限りがあります。なので、将来的にどのレベルなら本当に叶えられそうかを考えます。そしてそれを実現するための第一歩を見つけ出します。

(例)

最初の衝動)TOEICの勉強をしたい。

理想の目的)外資系企業でバリバリ国際的に働きたい。

外資系企業で国際的にバリバリ働くためには英語が出来るだけではダメで他のスキルが必要だ。今から実現するには敷居が高いな…さて、どうする?

現実的な目的)

良く考えてみれば、いまさら転職などしなくてもボランティアや、インターネットでのコミュニケーションでも海外と関わることは十分可能だ。

 

実現への第一歩は?

現実的な目標を考えたら、次は第一歩として何をすれば良いかを考えます。出来る限り具体的な行動である必要があります。漠然としているといつまでも行動に移れず、せっかくの目標が忘れ去られてしまう可能性が高くなります。

最初に考えていた「TOEICの勉強する」という行動もかなり曖昧でしたので、具体的な行動に落とし込む必要があります。例えば「TOEIC試験申し込み日程を確認する」や「本屋に行って問題集を買い、毎日1時間は取り組むと決める」などです。

「あとはひたすらやるだけ」の状態に持って行けると、その後が挫折せずに続きやすいです。

 

(例)
最初の衝動)TOEICの勉強をしたい。

理想の目的)外資系企業でバリバリ国際的に働きたい。


現実的な目的)
良く考えてみれば、転職などしなくてもボランティアや、インターネットでのコミュニケーションでも海外とコミュニケーションをとることは十分可能だ。

実現への第一歩)訪日外国人へのボランティア活動の募集を探す。

 

とりあえずやろうとしていたTOEIC勉強が、まさかのボランティア探しになりました。漠然とTOEICで高得点を取ることだけを目標に勉強していたら辿り着かなかったでしょう。

ボランティア応募に必要な条件は語学だけでは無いでしょうから、他に何が必要かを早い段階で知る事により、本当の目標へ最短ルートで進む事ができます。

 

考えることはたったの3つ
  1. 理想の目的
  2. 現実的な目的
  3. 実現への第一歩

 

この程度なら1日もあれば、いや1時間もあれば考えられます。そして、考えたことを一晩寝かせて、翌日また冷静に考えてみるのが良いでしょう。

今すぐにやろうとしていたことを、たった1日くらい遅らせても害は無いと思いませんか?

 

特に

・進学、転職、起業する

・結婚、離婚する

・家を買う

などの重大な決断をする場合、今の状況だけから目標を立てるのではなく、一旦理想を思い描いてから現実的な目標を探す事で、思いもよらない結果になる事があります。

 

※些細な目的なら、わざわざ考えなくてもよいのです。映画を観るとか、本を買うとか、旅行に行くとか、費用も時間もたいしてかからない事なら気にする必要はないと思います。

 

ついさっきまでやろうとしていた事が、少し立ち止まって考えることで全く異なる行動に変わることは、自分でも驚くしまた楽しいものです。自分はこんな事考えていたのか!という新鮮な驚きがあります。

 

もっとも避けるべきは、やることべき事をサボってしまう事ではなく、そもそも目標を知らずに進むということです。そして目標が分からない上に、サボってしまうのは最悪ですね。私もも本当にやるべき事をやっているか?を常に意識して行動したいです。

治すべき思考の『クセ』

ちょっと不思議なことであり、困っていることでもあるのですが、未来の事を考える時の『クセ』についてです。

 

どのような『クセ』かというと、

悪い未来を想像するときはそれがほぼ確実に起きるような気がするのに、良い未来を想像するときはほとんど実現しない気がするのです。


何故だろう?これって私だけなのでしょうか。

次の実験をして見て下さい。

 

その1
あなたはとあるパーティに参加しなければなりません。パーティの参加者は全員あなたの知らない人です。
さて、次の二つの文を読んだ時に、あなたはどちらが実現する可能性が高いと感じましたか?
・誰とも話すことが出来ずつまらないパーティになるに違いない
・新しい人脈が出来て楽しく有意義なパーティになるに違いない

 

私は圧倒的に前者でした。もう想像するだけで独り寂しい惨めなイメージしか思いつきません。後者の前向きなイメージなど、微塵も湧いてこないです。可能性としては前者も後者も同じくらいあるはずなのですが… 

むしろ、前者は参加者全員と話せない事を意味しており、後者は1人でも仲良くなれれば良いわけですから、寧ろ後者になる方が可能性が高いとすら言えるでしょう。

それなのにまったく前向きなイメージが浮かびません(^_^;)

 

その2
あなたの将来の収入について想像して下さい。どちらが実現する可能性が高いと感じましたか?
・下がっている
・上がっている

 

私は、当然ながら、下がるんじゃないか考えてしまい、不安になりました。
最近では年功序列も少なくなっていることから、確かに上がりづらい面はあると思います。とはいえ、下がるということもあまり考えにくいのですけどね。

収入が変わらずとも、物価が上昇して実質的に可処分所得が下がる可能性は大いにあり得ますが、そうではなく、何故か漠然と、収入自体がが下がってしまうような気がしてしまうのです。

 

実際の可能性は五分五分だとしても、前向きなイメージを考えることが出来ない…やはり思考の『クセ』というやつなのでしょうか?

この思考の『クセ』をどうすれば改善出来るか、これから考えて見たいと思います。

もっと自分の意見を主張して良い

どんなぶっ飛んだ内容でも、自分が正しいと思う事は自信を持って主張して良いと思います。

 

別に自信たっぷりに見えるように虚勢を張れと言っている訳ではありません。
単に「自分の考えていることを、世間の常識に合っているかどうかは気にせずに主張しても良いよ。」というだけの意味です。

はあ、当たり前じゃん!?と思った人。この先は当たり前の事しか書かれていないので、読まなくても大丈夫です。ブラウザをそっと閉じて下さい。

 

このエントリは、会話の中で発言する時にいちいち「この考えは変じゃないかなあ。会話の流れを乱さないかなあ。誰かを傷つけたりしないかなあ。」などと考えてしまい、言葉を発するタイミングが0.78秒位遅れ、皆が次のトピックに移ろうかなと考えるギリギリのタイミングで喋ってしまい、何だよこの会話まだ続けんのかよ的な眼差しを向けられがちな人々に対して書いています。
つまりは私自身のために書いています。

 

発言する時に周りからどう見られるか、周りにどう影響するのかを気にする理由は、一つには優しさからくる配慮なのだと思います。ただそれ故に自分の意見が言えずブラストレーションが溜まったり、意見を表明しないことで周りの空気を悪くしてしまったり、疎外感を感じたりします(つまり、あいつは何を考えているのか分からん、と思われて近寄らなくなる)。
思いやりが悪い方向に作用してしまう状態です。

 

もう一つは、完璧主義ゆえに間違いを恐れる気持ちです。間違えていたら恥ずかしい、馬鹿だと思われるのが嫌だと感じてしまう。
他人からの評価を気にしてしまい、思ったことを素直に表現できなくなります。

 

結論を言ってしまえば、どちらもあなたの自意識過剰が原因です。

やるべきなのは「自分はこう考えているんだ」という「事実」を伝えるだけだ、という事です。
間違えているかも知れませんし、また他の人を嫌な気持ちにさせることもあるかも知れませんが、それを気にするのは自分の対処可能な範囲を超えています。そこを気にしても現実問題としてどうしようも出来ない、対処のしようがありません。
常に正解だけを言い続けられる能力など無いし、そもそも万人に賛同される意見など無理に決まっています。
よって、自分にできる最低限の事は「自分の意見を事実としてありのまま伝える」というだけです。

分からないものは分からない、出来ないものは出来ないと言っても良いのです。
出来ないものは出来ない、と言うことは当たり前の事実です。他人からは「今後頑張れば出来るようになるのか?そのためのプランは有るのか?君にその才能はあるのか?」などというツッコミを受けるかも知れませんが、そんな事は本質から離れたどうでも良い事です。

出来ない事を改善しようが放っておこうが本人の勝手であり、他人が関与することではありません。もしそんな本質から離れたことを他人から指摘されたら「くそったれ!」と返しましょう。心の中でね。

 

また、人の意見に対して反論があるのなら周りの人も遠慮なく言うべきです。もちろん、建設的な意見としてです。笑い者や馬鹿にするのは論外です。
そうでないと意見が明らかに誤っていたり、目的とズレている場合に修正が効きません。そうやってお互いに修正しあって会話や議論が良い方向に進めば良いと考えています。

残念ながら、相手が建設的に指摘してくれるとは限りません。遠慮して何も言わなかったり、逆に誤りを指摘して馬鹿にすることが多いかも知れません。
もしも周りがそうだったとしても、せめて自分は堂々と意見を述べて、他人の意見には相手の言いたいことを尊重しつつ誤りを指摘出来るようになりたいと思っています。 

 

まとめ

・自分の考えている事は、正しいが誤っているか関係なしに主張して良い。
・自分はこう考えているんだ、という事実を伝えることが大事。
・相手の主張に対しても、堂々と見解を述べて良い。ただし目的に向かって建設的であること。明らかに誤っていたとしても、笑ったり馬鹿にするのはダメ。

以上

 

マタニティマークをつけて頂けると男性としてもありがたいが、女性視点ではそうでもないらしい件

妊娠っぽい女性にどうやって席を譲るか

先日、電車で座ってスマホを凝視していたのですが、車内がそこそこ混み合ってきて、自分の前にも吊革に掴まる人がいる状態に。

視線はスマホを向いていたので、何となく女性が立っているな、と気配を感じる程度の認識でした。
しばらくして、ふと視線を上に向けるとその女性、お腹が出ている気がします。妊婦さん!?いや、でもそこまでの膨らみでも無い気もする。それに、失礼ながらそこそこお年を召しているご様子。ただ、妊娠が絶対にあり得ないというほどの年齢でもない。
マタニティマークのワッペンは付けていませんでした。

正直、席を譲るかどうか悩みました。
席を譲るという行為は高齢、妊娠、障害、ケガなどの理由がない限りは、逆に失礼に受け止められる可能性があります。
失礼とまではいかなくても、確実に相手からは「?」な顔をされる事でしょうし、周囲からも「なにやってんだアイツ」的な視線を送られる事でしょう。シャイな自分としては御免被る事態です。

結局、どうしたかと言うと、次の駅に着いた時点で降りるフリをして無言で隣の車両に移りました。
妊婦っぽい女性は無事に着席されたことも確認出来ました。誰からも感謝はされませんが、誰も傷付かずに済んでひとまず良かった。

 

でも、もしマタニティマークのワッペンを付けていればこんなまどろっこしいマネをしなくても済むのに、と心から思いました。

 

マタニティマークに対する抵抗感

さて、そのマタニティマークですが、どうもそんなに簡単な事では無いらしいです。

マタニティマークを付けていると逆に狙われる可能性がある。(マジで!?)
・席を譲れと強要しているように感じ、ストレスが溜まる。また、相手にもそのように受け取られる可能性があり、トラブルになる危険性がある。

いや、世も末ですな。
次世代の命を育む妊婦さんに対して、攻撃する輩がいるとは、どんだけ世紀末国家なんだよ、日本?

このような輩がいたとしても極々僅かで、実際に出会う可能性は低いとは思いますが、ググってみると
マタニティマーク 嫌がらせ」
でサジェストしてくるので、実際にあるかどうかは別としても嫌がらせを受ける可能性を気にする人は多そうです。
こんな状況では警戒してワッペンを付けない妊婦さんがいるのも理解できます。妊娠しているという事だけでもナーバスになるのに、余計なストレスは増やしたくないですからね。文字通り自分だけの体じゃないし。

私の妻は2回妊娠しましたが、2回ともマタニティマークを付けていました。一緒に電車に乗ると結構高い確率で席を譲られており、人の温かさを感じたものです。感覚的には高校〜大学生くらいの女の子から譲られる事が多かったように感じます。
マタニティマークのために嫌な目にあったとは聞いていません(私に話されて無いだけかも知れないが)。

なのでマタニティマークは付けるべきで、付けて損は無いという認識でしたが、今では本人の負担にならないように選べば良いという認識に変わりました。

 

なので、これからも妊婦っぽい女性を見かけたら積極的に降りるフリをして車両を移動したいと思います(笑)

子供用に小さな新聞スクラップを作りたい

子供が小学生になったら、新聞のスクラップを作ってあげたい。1日に1記事限定で、難しければ1週間に1記事でもよい。

そして週一くらいの頻度で、一番印象に残った記事についてさらっと聞いてみる。

そんな事をしたいと考えています。

 

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自分が高校生だったころ「倫理」という授業があった。今でもあるのかな?
その中で、毎回持ち回りで「その日の新聞記事で一番気になったものを紹介する」という課題があった。と言っても、倫理の授業はコマ数が少ないので回ってきたのは結局1回きりだったのだけれど。

自分の担当回では残念ながら(?)、政治家の汚職事件のような世間を賑わすような重大事件・事故の記事は無く、箸休め的な地味な記事しかなかったため、ネタ選びにはかなり悩んだ記憶がある。

結局、選んだのは「韓国との国交正常化協定を結んだ」みたいな内容の記事だった。
※時期的には1993年8月の河野洋平内閣官房長官による談話(河野談話)の可能性が高い。従軍慰安婦の強制性を認めたもの。今振り返るとかなり重要な記事だ。

 

その記事では韓国の事を「最も近くて最も遠い国」と表現しており、協定によってその距離が縮む事を期待させるような内容であった。
しかし、新聞といえばテレビ欄をチェックするものという認識だった当時の私は、彼の国の国民性も、国境線問題も、もちろん従軍慰安婦問題も知る由も無く、韓国に対する知識といえば「ソウルオリンピックを開催した、キムチが好きな国」という程度であった。
なぜ韓国が遠い国なのかは全く理解出来なかったが、とにかく「最も近くて最も遠い国」と言われているのだという事は鮮明に記憶された。
その「最も近くて最も遠い国」というフレーズが、両国間に絶対不可侵な深い谷があるような、強烈な印象を与えたのだ。


韓流の流行によりテレビで韓国が多く取り上げられるようになるのは、それから10年位後の事だ。高校生当時には無かったインターネットでも(主に悪い面で)盛んに取り上げられることとなり、韓国の情報を良くも悪くも嫌というほど浴びせられる事になった。

残念ながら現在においても親密になったとは言えないし、従軍慰安婦問題も未だに存続している(そしてこれからも永遠に続くであろう)という状況だが、私が高校生時代に読んだ記事の「最も遠い国」という表現ほどには離れてはいないな、と感じる。
色々問題は抱えているが、以前よりは改善しているのだと思う。

 

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長々と昔話をしたが、何が言いたいかというと、学生時代に読んだたった1つの記事でもこうして数十年も記憶に残る事もあるので、1記事だけでもよいから子供の頃から読ませておきたいな、という事です。

 

読んでくれるかなぁ〜、きっと読んでくれなくて挫折したりするだろうなぁ〜。などと今からワクワクしています。

未来へのプレゼント

今、君が何をするかは、未来の君へのプレゼントなんだよ。未来の君はどうなっていたいのか? 夢や理想に少しでも近付けるように今の自分の時間をプレゼントしてあげよう。

何をしたら良いか分からないって?
何でも良いよ。だってプレゼントなのだから。贈り主の気持ちがこもっていれば、貰う方は何でも嬉しいものでしよ?
理想の結果にはならないかもしれないし、効果的な事は出来ないかも知れない。でもやっただけの結果はプレゼント出来るはず。
怖いのは何もしないことだ。その場合は未来の自分へのプレゼントは"無し"だ。あのとき少しでも"何か"をやっておけばなぁ、と後悔すること間違いない。

逆に今の自分に不足している事は、未来の自分に期待しても良いかも知れない。今の自分に不満な事が多々あるかも知れないが、一度にあれもこれも変えられないから、出来ることから手をつけて、残りは未来の自分に頼もう。未来の自分よ、頼む!ってね。

 

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というような事を、将来子供が何をすべきか迷っていたら言いたいなあと思いついたのでここにメモしておく。

 

おしまい