さて、どうする?

二児の父が考えた子育て方針の備忘録。父親目線で育児について気づいた事を書いてます。

私の年代別ベストゲーム

時代は2020年代に入り、今までのゲーム遍歴をまとめるエントリをチラホラと見かけたので、自分の年代別ベストゲームを書いてみました。

私の年齢は40代前半なので、歳の近い人は「ほほう…」と思って読んで頂けると幸いです。

 

1980年代

1983年にファミコンが発売され全盛期を迎える。私が初めてファミコンを買って貰ったのは、確か小学五年生のクリスマスだった。親父が真冬にホームセンターに並んでゲットしてくれたのだ。ただ、抱き合わせ販売で『ジャイロ』が付いていたのには流石に悪徳過ぎるだろうと苦笑した。当然ロボットは無しよ?(笑)

 

ツインビー(1985)

初めて手にしたファミコンソフト。この時はまだ本体は持って無くて、友達の家で遊ばせてもらうための手土産として購入した。(毎回、タダでゲームさせて貰うのも子供ながらに居心地が悪いのだ)

2人同時プレイが可能で、お互いに邪魔したり協力したりが楽しい。友達が分身まで育てたベルを、邪魔して黄色に戻したりしてね。

シューティングは結構難しく、散々遊んだが4面までしか行けなかったと思う。

 

スーパーマリオブラザーズ(1985)

説明不要の超名作。

このゲームの良さは操作性だと思う。当時のアクションゲームはジャンプしても、ワンテンポ遅れてふわっと妙な軌道を描くものが多く、直感的なプレイは難しかった。スーパーマリオは操作したとおりにキビキビ動き、操作性ってこんなにも重要なんだ!と思い知らせてくれた。高速で跳ね返ってくる亀を踏んで止めるなんて、本来ならかなり難しい動作だからね。このゲームなら楽に出来ちゃうけど。

それなりに難しいが、小学生でも繰り返しやり込めば全面クリアできるという絶妙なバランスも素晴らしい。

 

ファイナルファンタジー2(1988)

前年に発売されたファイナルファンタジー1も遊んだが、初のRPGということもあり、セオリーがわからずに途中で挫折。(なんせ、パーティーに白黒魔法使いが居なくて、肉弾戦オンリー。全ての戦闘をシーフで逃げてシナリオを進めていたが、途中で詰んだ。)

このファイナルファンタジー2は地道にパーティーを育てる事というを学習して、無事にクリアできた。最終ダンジョンが難しすぎるとのことでクソゲー扱いされる事もあるが、そんなに難しかったっけ?ちゃんと育てれば苦労しなかったが…

 

ドラゴンクエスト3(1988)

小学生の頃、周りの友達はみんなドラクエ3をやっていた。毎朝、登校時に進捗状況の共有をしたのが懐かしい。進捗が遅れると周りからネタバレされるため、遅れまいと必死に取り組んだ記憶がある。

 

また、ドラクエ3に関してはエニックスの「公式ガイドブック」も素晴らしい出来栄えだった。ガイドブックなので攻略本的なものではなく、町や城、装備や道具などをイラスト付きで紹介することでドラクエ3の世界観を余すところなく伝えるもので、画面上のドット絵の世界を補完してさらなる没入感をもたらしたのであった。

あと「モンスター物語」というモンスター視点でのストーリー集があり、これがまた名作で…

 


とにかくドラクエ3に関しては、ゲーム内容も、遊んだ年代も、取り巻く環境も全てがパーフェクトな状態であり、これはもう奇跡としか言いようがない。今後もこれを超えるゲームは出てこないであろうという、自分の中では絶対的な名作。

ちなみに小学生以降、ドラクエ3は一度も遊んでません。やるべきか、やらないべきか…

 


スーパーマリオ3(1988)

これも1988年なのか。とんでもねえな。

マリオ3からはワールドマップが登場し、ルートに分岐が発生する(まあ、今までも土管でルート選択はあったけど)。つまり行かなくても良いルートもあり、一気に自由さが高まったのが特徴。

またワールドごとに世界観が異なり、次はどんなマップだろう!?とドキドキさせてくれた。最後のワールドではクッパ艦隊と戦うことになるが、1人で果敢に強大な艦隊に向かうマリオを演出できていてすばらしかった。

 


なお、個人的には靴マリオが好きです。

 


ウルティマ3 聖者への道(1989)

海外のPCゲームの移植作なので、魔法を使うのにわざわざ触媒を消費するとか、戦闘から逃げると徳が下がるとか、最後のボスを倒しても特にエンディングっぽいものが無かったりして、とにかく新鮮だった。

後で調べて判ったが、ファミコン向けにかなり難易度を落とした移植だったらしい。良い判断だったと思います。

 


がんばれゴエモン2(1989)

ゴエモンとエビス丸が、日本各地を旅するゲーム。面ごとに背景が変わるので、本当に旅している気分になるのが楽しかった。

画面上に『上野』とか看板が出ると、ああもう九州からここまできたのか…と感慨深くなったものだ。

ゲーム的には割と地味目なアクションゲームだが、横スク、縦スク、3D迷路があり飽きさせない作りになっている。色々と細かいイベントが多く発生するので、2人プレイできゃあきゃあして楽しむゲーム。

 

1990年代

スーパーファミコンセガサターンニンテンドー64などの次世代機が続々と発売された家庭用ゲームの黄金期。個人的にも中学生〜大学生というモラトリアム期にあたり、最もゲームで遊んだ時代でした。


F-ZERO(1990)

スーパーファミコンと同時に発売されたゲーム。どう考えても本命は同時発売の「スーパーマリオワールド」だろうと思いきや、こちらの方が評価は高く、任天堂開発陣の層の厚さに度肝を抜かされた。


ドクターマリオ(1990)

当時はテトリスブームの影響で、なんでも落ちものゲーにする傾向があった。マリオも例外ではなく、なぜか医者になってウイルスを撃退するゲームを出した。

これがまた任天堂の恐ろしいところで、流行りゲーだと手を抜かずに、完璧に面白いものを出してくる。


関係ないけど、カプセルを投与してウィルスを撃退するゲームだけど、カプセル(抗生物質?)を投与するならウィルスではなくバクテリア(細菌)を撲滅するのでは?と思った。

 


ファイナルファンタジー3(1990)

このゲームは如何に事前情報をシャットアウトしてプレイするかが肝だと思う。私は幸いにも何の情報も得ずにプレイしていたので、ゲーム後半のとあるイベントでは「今まで冒険していたフィールドが、こんなちっぽけな○○だったなんて!!」と心の底から驚愕した。いや、本当にビビった。

またFF3は音楽も最高である。特に「果てしなき大海原」は○○から飛び出した後に状況が分からず茫然とした状況で、悲しみと混乱を思い起こさせる名曲だとおもう。

ファイナルファンタジーシリーズでは3が一番好きです。

 


ボンバーマン(PCE版 1990)

このソフトは買ってないが、CD-ROMで体験版をもらったのでそれで数ヶ月は遊んだ。地味なボンバーマンが対戦要素でここまで熱くなるとは!

中学〜高校生の頃は友達と遊べるパーティーゲームが楽しかったな。

 


いただきストリート(1991)

小学生位の可愛いキャラクターが、株やら買い占めやら破産やら不穏なワードを口にするゲーム。

ファミ通アメリカ大陸のプレイ実況が記事になっていて、それがあまりにも楽しそうだから購入した。たかがゲームに大人が必死になって他人と交渉して優位に進めようとする姿が、滑稽でとても魅力的に見えたんだよねえ。

冒頭に述べたとおり株が絡むゲームだが、同時中学生の自分でもすんなりと理解できるゲームシステムは秀逸。

 


ゼルダの伝説 神々のトライフォース(1991)

何というか、とんでもなく完成された一変の隙もないゲームという印象。現代のオーパーツかもしれない。何かがありそうだな?と思ったら必ず何かが用意されている。このゲームで製作者の意図を上回ることは困難。常にお釈迦様の掌の上で踊らされているのである。

特別にこれが面白い!というズバ抜けた事は無く、存在する全ての要素が素晴らしい。じっくりと世界観を楽しんでほしいゲーム。

 


ヨッシーのクッキー(GB版 1992)

ドクターマリオと同様に、流行り物のキャラクターパズルゲームだと思いきや、さすがは任天堂、ガチである。こういうゲームをサラッと出すあたり、本当に恐ろしい。

5x5マスの行または列に同じ柄のクッキー揃えて消すだけだが、1人で遊ぶと割と運次第なのであまり面白くない。ただし、対戦すると評価は一変する。消した際に相手を目隠しするブラインド、相手のクッキーをランダムに混ぜるシャッフルなど攻撃要素が加わり、如何に相手が嫌がるタイミングで嫌がる攻撃をするか?が勝利のポイントになる。運ではなく戦略が必要になる、まさに激アツ!

 


スーパー桃太郎電鉄2(SFC版 1992)

とんでもなく暇を持て余した学生時代に、こういう友達とボケーッと出来るゲームは楽しかったなあ。意味もなく最長の99年とかやって、最後にパルプンテカードを使いまくって場をぶち壊して終わったのは良い思い出。

 


バーチャファイター(SS版 1994)

アーケード版を初めて見たときの衝撃と言ったらもう…のっぺらぼうのような単純なキャラクターでも動きでここまでリアルさを体感できるとは、本当に驚愕した。また、スト2のように細かいコマンド入力を必要とせず、→Pみたいな単純な入力で技を繰り出せるのも大正解。この辺にゲームデザイナーの意気込みを感じる。おそらく、上からは「波動拳的なもの」を出すようにと圧力があったと思うんだよね…それを突っぱねた鈴木裕さんは偉い(私の妄想です)。

 


ナイツ(1996)

私の中でセガサターン最高傑作。子供が持っている恐怖、孤独を夢の中でナイツが退治するというストーリー。恐怖を退治する事により、エンディングでは子供が舞台で大勢の客前で勇気を出して歌うことが出来るのだが、こちらまで感情をぐいぐいと揺さぶられ涙が出てくる。こんなに気持ちが晴れやかになるエンディングは他に無い。これこそが家庭用オリジナルゲームの真骨頂。プロデューサーの中裕司さん素敵。

ゲーム的には、ソニックから重力を取っ払って自由さを増したような感じ。アナログコントローラで360度自由にナイツを操り、敵を囲んだら退治出来る。この重力のない自由さが病みつきで、ただ飛んでいるだけでも楽しい。

 


スーパーマリオ64(1996)

マリオの3D版だが、今までのマリオとは全く異なるゲーム。今までの2DにZ軸が加わるだけで、ここまでアクションの世界がブワッと広がるとは想像できなかった。

2Dではただ進むだけの橋も、3Dでは踏み外せば落ちるので、何度も何度も落ちては進み落ちては進みを繰り返して、ようやくゴールに到達する工程にカタルシスを感じた。一見、3Dで派手になったが、実際にやると地味な努力と継続を要求されるゲームだった。結構難しかったなあ。

 

2000年代

就職するとゲームからは一旦離れてしまった。何と一本だけ。

PS2PS3ゲームキューブも買いませんでしたが、PSXというDVDレコーダーを持っていたので、PS2のゲームを遊ぶことはできた。ほとんど使わなかったけど。

 


ワンダと巨像(2005)

ひ弱そうな男(ワンダ)が好きな女を蘇らせるために、建築物の如き大きさの巨像に1人で立ち向かうゲーム。

巨人の弱点を目指して剣を片手にワシワシと登って行くのだが、巨人が嫌がってブンブン振り回すのを歯を食いしばり片手で必死にしがみつくのが、もう健気で仕方がない。

巨人に対してこちらが有利なポジションにつくと勇ましい音楽に変わる演出があるのだが、これが本当に素晴らしく、勇気を与えてくれる。

全ての巨像を倒した時、本当に女の子は蘇るのか?ワンダはどうなるのか?涙なしでは見れないエンディング。まさかああなるとはね…

全てが完成された非の打ちどころのないゲームだと思う。

 

 

2010年代

結婚して、子供も出来てなかなかゲームには手が付かない環境。それでも出会ってしまった…FPSというジャンルに…

 


バトルフィールド3(PC版 2011)

PC版シムシティ4を買った時にダウンロード障害が発生しており、お詫びの品として無料でダウンロードしたのがバトルフィールド3だった。

キャンペーンをプレイしてみると、まあ面白いこと!アメリカ軍海兵隊によるイランでのテロ抑止作戦のリアルさ、最新鋭の兵器による派手な攻撃から、地下道を這いずり回る地道な作戦まで、全てが新鮮だった。海外ゲームはこんなにも進化していたのね!と驚いた。

初めてオンラインで遊んだ時も衝撃だったな。一瞬でも気を抜くと即死に直結するという。キャンペーンなんて比じゃないね。シビアすぎだろ。キルレートを1に戻すまでどれだけ大変だったか。

 


バトルフィールドは4、5も遊んだけど、3が一番好きでした。

 

続きを読む

批判で企業の論理が改善するとは思えない

カネカが育休取得者に不利な異動を命令したという事で話題になってますね。

育休取得の見せしめとして異動させた、と言われていますが、当然会社は否定しています。まあ本当のところはわかりません。

個人的には、カネカの様な大企業が見せしめの為に異動させるとは思えませんが、育休の取得が、人事決定者の背中をほんの少し押した可能性はあるかもしれません。
育休中に彼が居なくても問題無く業務が回った=異動させても構わない、とか。(私の勝手な想像ですよ!)

基本的には、会社は法に反してないなら何をしても良いのです。何なら毎年異動させても構わない。家を買った?子供が生まれた?会社としては知ったことか!なのです。
(みんな、毎週転勤させられている東京一郎さんを思い出すんだ!)

https://www.ytv.co.jp/kenmin_show/drama/

 

企業の論理は変えられない

世の中の意見としては、家庭の事情を鑑みるべきだ!とか、せめて1ヶ月くらい延ばすべきだ!等いろいろあるが、会社が決めてしまえばそれまでなのです。一度決まったことは「決定事項」として粛々と実行されるものであり、決して見直される事はありません。

一度決めたことは、ルールに則って半ば自動的に処理され、そこには担当者の考えなど存在しません。もし、特定の社員のみを特別扱いし、決定を覆すなら、そうするだけの理由を担当者が考え、周りを説得しなければならなりません。
そんな面倒なことを、いちいちやってられない事は容易に想像できるでしょう?

6月6日に公表されたカネカのコメントが火に油を注いでますが、会社としてはあの様に書かざるを得なかったのでしょう。
ネットで少し(?)炎上したからと言って、今までの慣習を手のひら返しするわけには行かないのです。そんな事したら社員が困惑するだけです。

HPからワークライフバランスに関する内容を削除したのも、世間への対応では無く、社内向けの「ちゃんと対応してますよ!しかも休日返上でね!」というアピールなのだと思います。

それが間違っていると分かっていても、世間から非難されると分かっていても、会社の論理から導き出されたのはあのコメントと、ワークライフバランス項目の削除だったのでしょう。
ハッキリ言って「批判」する事で会社が良い方向に変わるなんて期待するだけ無駄なのです。

もし、あなたが、そんなカネカに対して憤りを隠せないのであれば、市場の法則に則った報復をするしかありません。
・カネカには入社しない
・カネカの利益になる商品を買わない
・(カネカ社員の場合)会社を辞める

(例え気に入らなくてもヘイトスピーチはダメですよ!)

まず、カネカの商品はコンシューマ向けでは無いので、カネカ商品の購入を避けるのは難しそうです。
そして、あなたが、カネカへの入社を検討している就活生ではなく、カネカ社員でもないなら、残念ながら何も出来ません。今回の騒動はあなたには全く関係のない事象だったのです。諦めて他に良いことを考えるべきでしょう。例えば、明日の夕食の事とか。

 

それでも改善を期待するしかない

この様な「ドロ沼」からは離れるのが一番良いと思います。
全く関係ないあなたは、そもそも関わるべきではないでしょう。
新卒で入社を検討していた人は、一旦保留してこの先の会社の言動を見守った方が良いでしょう。既に中の人として働いている人は、可能ならば転職した方が良いでしょう。ただ、カネカ以上の待遇を得る事は難しいかもしれませんが…

「ドロ沼」から離れた方が良いのは会社サイドでも同じで、この様な世間から敵視される様な悪しき慣習からは足を洗った方が良いのです。先ほど手のひら返しすると社員は困惑するだけと書きましたが、ここで今までは誤っていたことを認め、正しい姿に変えていく宣言をするならば、社員も納得するはずです。
そうすればダーティーなイメージから、一気に社員のことを考える素晴らしいイメージに様変わりすると思いますが…非常に困難(BtoCではない企業は特に)だと思いますが期待したいところです。

 

期待できる事は、今回の炎上を見た他の企業がひっそりと人事制度を改善させる事です。第2のカネカにならない為に。
私が勤める会社も全国に支店のあるそこそこ大きい企業なので、転勤で単身赴任する可能性があるので、改善してくれないかな〜とほんの僅かに期待しています。

別に分かって貰えなくても良いよね

唐突ですが、私はおにぎりが好きです。

 

妻が作ってくれる愛情が込もっているものも、子供の頃に母が作ってくれた優しさが溢れるものも、自分で作った不恰好なものも、コンビニで売っている如何にも「商品」といったものも、それぞれ好きです。

 

海苔がしっとりしているのも、パリパリなのも両方とも好きです。むしろ海苔が無くても好きです。あと、滅多にお目にかかりませんが、トロロ昆布で巻いてあるやつも好きです。口に含んだ瞬間に広がる磯の香り…最高です。

 

丸いのも、三角のも、四角のも、最近流行りの握らないやつも好きです。メガ盛りブームに乗っかった巨大なやつも、色々な味の小さいのがぎっしりとパックに詰まったやつも好きです。

 

人肌程度のベストな温度のものを遠慮なくかぶり付くのも、作りたての湯気が立っているのをハフハフ食べるのも、作ってからしばらく経って冷えたのをしんみり食べるのも好きです。時間が経っていると、自重で多少硬めに締っているが、なお良いです。

 

具材だって、梅でも鮭でも昆布でもツナマヨでも海老マヨでも青菜でも松前漬けでも肉味噌でも牛カルビでも漬けマグロでも何でもウェルカムです。というか、ただの塩むすびでも好きです。

まだまだ、試していない具材が世の中にはたくさんあるはずですが、きっとそれらも好きです。確信があります。

 

家族と食卓を囲んで賑やかに食べても、独りで会社のデスクで食べても、お日様の下で食べても、どのシチュエーションで食べても美味しく頂けます。みんな好きです。

 

食べるときにほのかに感じる海苔の香りが素晴らしい。食べる前からもう「おいしい」のです。

適度な硬さに握られたお米の食感、具材とお米のハーモニー、どれを取っても非の打ち所がありません。

しかも誰でも簡単に作れてしまう。携帯性も抜群です。機能性にも優れる最高の料理です。

 

しかし、こんなに書いておきながら、私は普段それほどおにぎりを食べません。何故ならおにぎりはいつでも作れるからです。おにぎりは逃げたりしないのです。いつでも食べられるという心に余裕があるから、そんなに食べなくても平気なのです。必要なときにいつでもそばに居てくれる、という安心感があるゆえです。

 

もし最後の晩餐というものがあるのなら、私はおにぎりと味噌汁とたくわんを選ぶと思います。

もちろんその時のおにぎりは、妻が作ってくれるものでも、母が作ってくれるものでも、自分で作った不恰好なものでも(以下略)

---

別にみんなに分かって貰えなくても、共感されなくても良いから、ただ自分が漠然と好きだと思ったものを思う存分書いてみました。自分の想いを気を使わないで書く事は大切だと分かったし、何より楽しい😄

 

明日見返したら何書いてるんだ!?と思うこと間違い無いが、そういうのも良いよね。

 

走り出す前に考えること

行動を起こす際には計画が重要だということについてはあまり異論はないと思います。

とはいえ、衝動に駆られ考える前に動きだすタイプの人も多いと思います。今すぐにやりたい事がある!立ち止まってなんていられないぜ!走りながら考えるんだ I can't stop! 

もしくは部下などに対し、今すぐやれ!遅れは許さない!最速で完了させろ!考える暇があるなら手を動かせ!Don't think, just do it!

 

…そんな人は、動き出す前にちょっとだけ考えた方が良いです。急いては事を仕損じる、という諺がある通り、常に今すぐに!大至急で!なるはやで!ASAP(as soon as possible)で!で行動していると痛い目にあうかもしれません。

 

では、何をどう考えたら良いのでしょうか?

やるべきことはたった3つです。

 

本当は何がしたいのかを考えよう

人が思いつきで行動するとき、100%自分の意思で動いていはいますが、本当に望むゴールに向かっているのか、本当は何がしたいのかを良く分かっていない事が多いです。

『時間・金・資材・能力』という制限がある中で思いついたことは本当に自分のやりたい事なのでしょうか?

もしこれらの制限が無かったら何がしたいのか、自分の理想とするゴール地点を一旦思い描いてみるべきです。

(例)

最初の衝動)将来のために何か資格を取ろうかな。とりあえずTOEICでも受けておくか!

そもそも英語を勉強して何がしたいのだろう?海外の人と話がしたいし、英語を活かした仕事がしたい…

理想の目的)どうせなら外資系企業でバリバリ国際的に働きたい。

 

漠然としたTOEIC受験という目標から、実は国際的な活動がしてみたかったという隠れた願望を持っている事に気がつきました。

 

現実的な落としどころはどこか?

ただし、理想を把握したところで実際に叶えることは難しいでしょう。現実的には時間もお金も才能も限りがあります。なので、将来的にどのレベルなら本当に叶えられそうかを考えます。そしてそれを実現するための第一歩を見つけ出します。

(例)

最初の衝動)TOEICの勉強をしたい。

理想の目的)外資系企業でバリバリ国際的に働きたい。

外資系企業で国際的にバリバリ働くためには英語が出来るだけではダメで他のスキルが必要だ。今から実現するには敷居が高いな…さて、どうする?

現実的な目的)

良く考えてみれば、いまさら転職などしなくてもボランティアや、インターネットでのコミュニケーションでも海外と関わることは十分可能だ。

 

実現への第一歩は?

現実的な目標を考えたら、次は第一歩として何をすれば良いかを考えます。出来る限り具体的な行動である必要があります。漠然としているといつまでも行動に移れず、せっかくの目標が忘れ去られてしまう可能性が高くなります。

最初に考えていた「TOEICの勉強する」という行動もかなり曖昧でしたので、具体的な行動に落とし込む必要があります。例えば「TOEIC試験申し込み日程を確認する」や「本屋に行って問題集を買い、毎日1時間は取り組むと決める」などです。

「あとはひたすらやるだけ」の状態に持って行けると、その後が挫折せずに続きやすいです。

 

(例)
最初の衝動)TOEICの勉強をしたい。

理想の目的)外資系企業でバリバリ国際的に働きたい。


現実的な目的)
良く考えてみれば、転職などしなくてもボランティアや、インターネットでのコミュニケーションでも海外とコミュニケーションをとることは十分可能だ。

実現への第一歩)訪日外国人へのボランティア活動の募集を探す。

 

とりあえずやろうとしていたTOEIC勉強が、まさかのボランティア探しになりました。漠然とTOEICで高得点を取ることだけを目標に勉強していたら辿り着かなかったでしょう。

ボランティア応募に必要な条件は語学だけでは無いでしょうから、他に何が必要かを早い段階で知る事により、本当の目標へ最短ルートで進む事ができます。

 

考えることはたったの3つ
  1. 理想の目的
  2. 現実的な目的
  3. 実現への第一歩

 

この程度なら1日もあれば、いや1時間もあれば考えられます。そして、考えたことを一晩寝かせて、翌日また冷静に考えてみるのが良いでしょう。

今すぐにやろうとしていたことを、たった1日くらい遅らせても害は無いと思いませんか?

 

特に

・進学、転職、起業する

・結婚、離婚する

・家を買う

などの重大な決断をする場合、今の状況だけから目標を立てるのではなく、一旦理想を思い描いてから現実的な目標を探す事で、思いもよらない結果になる事があります。

 

※些細な目的なら、わざわざ考えなくてもよいのです。映画を観るとか、本を買うとか、旅行に行くとか、費用も時間もたいしてかからない事なら気にする必要はないと思います。

 

ついさっきまでやろうとしていた事が、少し立ち止まって考えることで全く異なる行動に変わることは、自分でも驚くしまた楽しいものです。自分はこんな事考えていたのか!という新鮮な驚きがあります。

 

もっとも避けるべきは、やることべき事をサボってしまう事ではなく、そもそも目標を知らずに進むということです。そして目標が分からない上に、サボってしまうのは最悪ですね。私もも本当にやるべき事をやっているか?を常に意識して行動したいです。

治すべき思考の『クセ』

ちょっと不思議なことであり、困っていることでもあるのですが、未来の事を考える時の『クセ』についてです。

 

どのような『クセ』かというと、

悪い未来を想像するときはそれがほぼ確実に起きるような気がするのに、良い未来を想像するときはほとんど実現しない気がするのです。


何故だろう?これって私だけなのでしょうか。

次の実験をして見て下さい。

 

その1
あなたはとあるパーティに参加しなければなりません。パーティの参加者は全員あなたの知らない人です。
さて、次の二つの文を読んだ時に、あなたはどちらが実現する可能性が高いと感じましたか?
・誰とも話すことが出来ずつまらないパーティになるに違いない
・新しい人脈が出来て楽しく有意義なパーティになるに違いない

 

私は圧倒的に前者でした。もう想像するだけで独り寂しい惨めなイメージしか思いつきません。後者の前向きなイメージなど、微塵も湧いてこないです。可能性としては前者も後者も同じくらいあるはずなのですが… 

むしろ、前者は参加者全員と話せない事を意味しており、後者は1人でも仲良くなれれば良いわけですから、寧ろ後者になる方が可能性が高いとすら言えるでしょう。

それなのにまったく前向きなイメージが浮かびません(^_^;)

 

その2
あなたの将来の収入について想像して下さい。どちらが実現する可能性が高いと感じましたか?
・下がっている
・上がっている

 

私は、当然ながら、下がるんじゃないか考えてしまい、不安になりました。
最近では年功序列も少なくなっていることから、確かに上がりづらい面はあると思います。とはいえ、下がるということもあまり考えにくいのですけどね。

収入が変わらずとも、物価が上昇して実質的に可処分所得が下がる可能性は大いにあり得ますが、そうではなく、何故か漠然と、収入自体がが下がってしまうような気がしてしまうのです。

 

実際の可能性は五分五分だとしても、前向きなイメージを考えることが出来ない…やはり思考の『クセ』というやつなのでしょうか?

この思考の『クセ』をどうすれば改善出来るか、これから考えて見たいと思います。

もっと自分の意見を主張して良い

どんなぶっ飛んだ内容でも、自分が正しいと思う事は自信を持って主張して良いと思います。

 

別に自信たっぷりに見えるように虚勢を張れと言っている訳ではありません。
単に「自分の考えていることを、世間の常識に合っているかどうかは気にせずに主張しても良いよ。」というだけの意味です。

はあ、当たり前じゃん!?と思った人。この先は当たり前の事しか書かれていないので、読まなくても大丈夫です。ブラウザをそっと閉じて下さい。

 

このエントリは、会話の中で発言する時にいちいち「この考えは変じゃないかなあ。会話の流れを乱さないかなあ。誰かを傷つけたりしないかなあ。」などと考えてしまい、言葉を発するタイミングが0.78秒位遅れ、皆が次のトピックに移ろうかなと考えるギリギリのタイミングで喋ってしまい、何だよこの会話まだ続けんのかよ的な眼差しを向けられがちな人々に対して書いています。
つまりは私自身のために書いています。

 

発言する時に周りからどう見られるか、周りにどう影響するのかを気にする理由は、一つには優しさからくる配慮なのだと思います。ただそれ故に自分の意見が言えずブラストレーションが溜まったり、意見を表明しないことで周りの空気を悪くしてしまったり、疎外感を感じたりします(つまり、あいつは何を考えているのか分からん、と思われて近寄らなくなる)。
思いやりが悪い方向に作用してしまう状態です。

 

もう一つは、完璧主義ゆえに間違いを恐れる気持ちです。間違えていたら恥ずかしい、馬鹿だと思われるのが嫌だと感じてしまう。
他人からの評価を気にしてしまい、思ったことを素直に表現できなくなります。

 

結論を言ってしまえば、どちらもあなたの自意識過剰が原因です。

やるべきなのは「自分はこう考えているんだ」という「事実」を伝えるだけだ、という事です。
間違えているかも知れませんし、また他の人を嫌な気持ちにさせることもあるかも知れませんが、それを気にするのは自分の対処可能な範囲を超えています。そこを気にしても現実問題としてどうしようも出来ない、対処のしようがありません。
常に正解だけを言い続けられる能力など無いし、そもそも万人に賛同される意見など無理に決まっています。
よって、自分にできる最低限の事は「自分の意見を事実としてありのまま伝える」というだけです。

分からないものは分からない、出来ないものは出来ないと言っても良いのです。
出来ないものは出来ない、と言うことは当たり前の事実です。他人からは「今後頑張れば出来るようになるのか?そのためのプランは有るのか?君にその才能はあるのか?」などというツッコミを受けるかも知れませんが、そんな事は本質から離れたどうでも良い事です。

出来ない事を改善しようが放っておこうが本人の勝手であり、他人が関与することではありません。もしそんな本質から離れたことを他人から指摘されたら「くそったれ!」と返しましょう。心の中でね。

 

また、人の意見に対して反論があるのなら周りの人も遠慮なく言うべきです。もちろん、建設的な意見としてです。笑い者や馬鹿にするのは論外です。
そうでないと意見が明らかに誤っていたり、目的とズレている場合に修正が効きません。そうやってお互いに修正しあって会話や議論が良い方向に進めば良いと考えています。

残念ながら、相手が建設的に指摘してくれるとは限りません。遠慮して何も言わなかったり、逆に誤りを指摘して馬鹿にすることが多いかも知れません。
もしも周りがそうだったとしても、せめて自分は堂々と意見を述べて、他人の意見には相手の言いたいことを尊重しつつ誤りを指摘出来るようになりたいと思っています。 

 

まとめ

・自分の考えている事は、正しいが誤っているか関係なしに主張して良い。
・自分はこう考えているんだ、という事実を伝えることが大事。
・相手の主張に対しても、堂々と見解を述べて良い。ただし目的に向かって建設的であること。明らかに誤っていたとしても、笑ったり馬鹿にするのはダメ。

以上

 

マタニティマークをつけて頂けると男性としてもありがたいが、女性視点ではそうでもないらしい件

妊娠っぽい女性にどうやって席を譲るか

先日、電車で座ってスマホを凝視していたのですが、車内がそこそこ混み合ってきて、自分の前にも吊革に掴まる人がいる状態に。

視線はスマホを向いていたので、何となく女性が立っているな、と気配を感じる程度の認識でした。
しばらくして、ふと視線を上に向けるとその女性、お腹が出ている気がします。妊婦さん!?いや、でもそこまでの膨らみでも無い気もする。それに、失礼ながらそこそこお年を召しているご様子。ただ、妊娠が絶対にあり得ないというほどの年齢でもない。
マタニティマークのワッペンは付けていませんでした。

正直、席を譲るかどうか悩みました。
席を譲るという行為は高齢、妊娠、障害、ケガなどの理由がない限りは、逆に失礼に受け止められる可能性があります。
失礼とまではいかなくても、確実に相手からは「?」な顔をされる事でしょうし、周囲からも「なにやってんだアイツ」的な視線を送られる事でしょう。シャイな自分としては御免被る事態です。

結局、どうしたかと言うと、次の駅に着いた時点で降りるフリをして無言で隣の車両に移りました。
妊婦っぽい女性は無事に着席されたことも確認出来ました。誰からも感謝はされませんが、誰も傷付かずに済んでひとまず良かった。

 

でも、もしマタニティマークのワッペンを付けていればこんなまどろっこしいマネをしなくても済むのに、と心から思いました。

 

マタニティマークに対する抵抗感

さて、そのマタニティマークですが、どうもそんなに簡単な事では無いらしいです。

マタニティマークを付けていると逆に狙われる可能性がある。(マジで!?)
・席を譲れと強要しているように感じ、ストレスが溜まる。また、相手にもそのように受け取られる可能性があり、トラブルになる危険性がある。

いや、世も末ですな。
次世代の命を育む妊婦さんに対して、攻撃する輩がいるとは、どんだけ世紀末国家なんだよ、日本?

このような輩がいたとしても極々僅かで、実際に出会う可能性は低いとは思いますが、ググってみると
マタニティマーク 嫌がらせ」
でサジェストしてくるので、実際にあるかどうかは別としても嫌がらせを受ける可能性を気にする人は多そうです。
こんな状況では警戒してワッペンを付けない妊婦さんがいるのも理解できます。妊娠しているという事だけでもナーバスになるのに、余計なストレスは増やしたくないですからね。文字通り自分だけの体じゃないし。

私の妻は2回妊娠しましたが、2回ともマタニティマークを付けていました。一緒に電車に乗ると結構高い確率で席を譲られており、人の温かさを感じたものです。感覚的には高校〜大学生くらいの女の子から譲られる事が多かったように感じます。
マタニティマークのために嫌な目にあったとは聞いていません(私に話されて無いだけかも知れないが)。

なのでマタニティマークは付けるべきで、付けて損は無いという認識でしたが、今では本人の負担にならないように選べば良いという認識に変わりました。

 

なので、これからも妊婦っぽい女性を見かけたら積極的に降りるフリをして車両を移動したいと思います(笑)