さて、どうする?

二児の父が考えた子育て方針の備忘録。

他愛もないコラム(その1)

ものには最初から決まった名前があるのでは無いだろうか? 名付けるという行為は、あらかじめ決められている名前を発掘してあげる事では無いか? などと最近考えています。


例えばツィート(tweet)する、は英訳すると正確には「さえずる」ですが、多分それでは流行らなかったと思います。(あくまでも呼称についてです。サービス自体は便利なので流行ったと思います) 

やはり「つぶやく」が正解なのだと。安易な英訳に走らなかった、ちゃんと考えた担当者は偉いな、と思いました。

 

また「ググる」という言葉も、「グーグルで検索するという行為」があらかじめ持っていた名前が発掘されたものかと思います。

ヤフーは「ヤフる」とはならないので、残念ながらこちらはしっくりくる名前を持ってないようです。

 

夏目漱石の「夢十夜」で、仁王像を掘る彫刻職人が「木の中に仁王像が埋まっているので、それをノミと槌で掘り出すだけだ。間違うはずがない」と言う場面があります。

たしか小学生の教科書で読んだと思いますが、妙に納得してしまい大人になっても心に残っています。

 

それと同じで、きっと世の中のモノはあらかじめ持っている名前があり、それを掘り出すのが名付け親の仕事なんだろうな、と考えています。

 

我が家では子供の名前は、事前にはほとんど考えず、本人が生まれてから顔を見ながら決めました。正直に言うと、あらかじめ考えていた名前も少しはあったけど、結局はそれらは採用せずに、夫婦でジックリ赤子の顔を見て2人ともが「これだ!」と思えた名前をつけました。

 

字画や意味は考慮せずにインスピレーションだけで決めたので、何故その名前にしたのかと聞かれると説明に困るのが難点ですが、我ながら良い名付け方をしたなと自画自賛しています。

当の本人が気にいるかは、まだ分かりません。