さて、どうする?

二児の父が考えた子育て方針の備忘録。

賢いお金の使い方とは?

前回のエントリの続きのようなもの。

 

前回はモノを買う時には少しだけ「敬いの心」を込めるようにしたい、と書きました。

書いてから一週間程度経ちましたが、やはり感覚的に正しいな、と感じます。

論理的に正しいでは無く、感覚的に正しいというのが重要です。

 

さて、話は変わりますが、人生の決定事項において「お金」を基準に考えてしまうと、自分の中の価値観が狂ってしまうという話です。

 

お金というのは単に社会を円滑に運用するためのツールに過ぎません。人々の生産物を円滑に取引するための共通の尺度としての機能です。

紙幣や硬貨の形をしていますが、お金としての実体は無いようなもので、単にみんなが使っているからという理由だけで成り立っている不思議な存在です。

(あまり詳しく無いのでツッコミどころはあると思いますが、私の認識はそんなものです。)

 

お金を基準に合わせるという事は、自分の価値観を周りのみんな、つまり社会の判断基準に迎合させる事になります。

逆に言えば社会の基準に合わせて生きようとすると、どうしてもお金が必要になります。

 

しかし、残念ながら、お金は強者に集まる仕組みになっています。能力のある人、運のある人に集まります。そうで無い人には最低限のお金しか与えられません。

 

やりたいことがあるのに、お金が無いから出来ない、というのは悲しいことです。

お金が稼げない=社会的弱者のように悲観的に考えてしまう事もあります。

そんな事は無いと否定したいのは山々ですが、お金が社会の基準になっている以上、お金が無いと社会的な立場は弱くなってしまいます。特に教育や医療の場面では顕著に差が現れますよね。

 

家が欲しい、車が欲しい、海外旅行に行きたい、外食したい、、、人間には色々な欲望があります。それらを叶えるためにはお金が必要です。もう痛いほど身にしみてますが…

 

全てを叶えられるのは一部の人でしょう。

そうでない人は、まずは自分が本当にやりたい事は何なのかを見極める事が重要と思います。

たとえば高級車が欲しい、海外旅行に行きたいのような欲求であれば、それは周囲に影響されて憧れているだけかもしれません。もし、周りが持っていなかったとしても欲しいと思うか?を想像してみると良いと思います。

もしかしたらほどんどのものは不要になってしまうかも知れません。

 

そうして余計なモノをそぎ落とした結果、残ったモノ=本当にやりたい事に対して自分の稼げる額を投入する。

そして、それ以外の低優先のモノに対しては、我慢する手もアリですが、頑張って稼ぎを増やして手に入れるのが健全な姿かと思います。

先ほどは必要なものだけあれば良いような事を書いておきながら、いきなり真逆の事を書いていると思われるかも知れません。

が、最低限の事は確保しつつ、さらに上を目指して頑張るためのツールとしてお金を利用するということです。本来は必要の無いものと割り切っているので、手に入らなかったとしてもショックは少なく済みます。

 

お金に使われるのではなく、お金を使う方に回りましょう。

 

それがお金に対する正しい態度ではないかと考えています。

 

今日はこんなところで。