さて、どうする?

二児の父が考えた子育て方針の備忘録。父親目線で育児について気づいた事を書いてます。

子供用に小さな新聞スクラップを作りたい

子供が小学生になったら、新聞のスクラップを作ってあげたい。1日に1記事限定で、難しければ1週間に1記事でもよい。

そして週一くらいの頻度で、一番印象に残った記事についてさらっと聞いてみる。

そんな事をしたいと考えています。

 

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自分が高校生だったころ「倫理」という授業があった。今でもあるのかな?
その中で、毎回持ち回りで「その日の新聞記事で一番気になったものを紹介する」という課題があった。と言っても、倫理の授業はコマ数が少ないので回ってきたのは結局1回きりだったのだけれど。

自分の担当回では残念ながら(?)、政治家の汚職事件のような世間を賑わすような重大事件・事故の記事は無く、箸休め的な地味な記事しかなかったため、ネタ選びにはかなり悩んだ記憶がある。

結局、選んだのは「韓国との国交正常化協定を結んだ」みたいな内容の記事だった。
※時期的には1993年8月の河野洋平内閣官房長官による談話(河野談話)の可能性が高い。従軍慰安婦の強制性を認めたもの。今振り返るとかなり重要な記事だ。

 

その記事では韓国の事を「最も近くて最も遠い国」と表現しており、協定によってその距離が縮む事を期待させるような内容であった。
しかし、新聞といえばテレビ欄をチェックするものという認識だった当時の私は、彼の国の国民性も、国境線問題も、もちろん従軍慰安婦問題も知る由も無く、韓国に対する知識といえば「ソウルオリンピックを開催した、キムチが好きな国」という程度であった。
なぜ韓国が遠い国なのかは全く理解出来なかったが、とにかく「最も近くて最も遠い国」と言われているのだという事は鮮明に記憶された。
その「最も近くて最も遠い国」というフレーズが、両国間に絶対不可侵な深い谷があるような、強烈な印象を与えたのだ。


韓流の流行によりテレビで韓国が多く取り上げられるようになるのは、それから10年位後の事だ。高校生当時には無かったインターネットでも(主に悪い面で)盛んに取り上げられることとなり、韓国の情報を良くも悪くも嫌というほど浴びせられる事になった。

残念ながら現在においても親密になったとは言えないし、従軍慰安婦問題も未だに存続している(そしてこれからも永遠に続くであろう)という状況だが、私が高校生時代に読んだ記事の「最も遠い国」という表現ほどには離れてはいないな、と感じる。
色々問題は抱えているが、以前よりは改善しているのだと思う。

 

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長々と昔話をしたが、何が言いたいかというと、学生時代に読んだたった1つの記事でもこうして数十年も記憶に残る事もあるので、1記事だけでもよいから子供の頃から読ませておきたいな、という事です。

 

読んでくれるかなぁ〜、きっと読んでくれなくて挫折したりするだろうなぁ〜。などと今からワクワクしています。

未来へのプレゼント

今、君が何をするかは、未来の君へのプレゼントなんだよ。未来の君はどうなっていたいのか? 夢や理想に少しでも近付けるように今の自分の時間をプレゼントしてあげよう。

何をしたら良いか分からないって?
何でも良いよ。だってプレゼントなのだから。贈り主の気持ちがこもっていれば、貰う方は何でも嬉しいものでしよ?
理想の結果にはならないかもしれないし、効果的な事は出来ないかも知れない。でもやっただけの結果はプレゼント出来るはず。
怖いのは何もしないことだ。その場合は未来の自分へのプレゼントは"無し"だ。あのとき少しでも"何か"をやっておけばなぁ、と後悔すること間違いない。

逆に今の自分に不足している事は、未来の自分に期待しても良いかも知れない。今の自分に不満な事が多々あるかも知れないが、一度にあれもこれも変えられないから、出来ることから手をつけて、残りは未来の自分に頼もう。未来の自分よ、頼む!ってね。

 

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というような事を、将来子供が何をすべきか迷っていたら言いたいなあと思いついたのでここにメモしておく。

 

おしまい

人生のKPIについて

今年ももう5月になってしまいました。毎年GWを過ぎると年末まであっという間に過ぎてしまうように感じています。歳をとると本当に時間の流れが早く感じる…

さて、今でこそ余裕が出てきたのですが、昨年末から半年間は個人的に色々な問題を抱えており、常にいっぱいいっぱいな状況でした。
体調も悪くなりました。血尿も出たし痔にもなった。精神的にも不安定になり、不眠症にもなった。布団に入ってから5時間も眠れずにそのまま朝を迎えるのは地獄です。
ただ、食欲だけは落ちなかった、というのが唯一の救いでした。たまには食欲が無くなることもありましたが、その状態が続くことはありませんでした。もし、続いていたらアウトだったかも。

 

さて、そんな経験をした結果、自分の人生が順調かどうかをはかるための指標、つまり『人生のKPI』というものがあるのではないか?と気づきました。

KPIとは聞き馴染みの無い言葉ですが、
key performance indicator の略で、企業目標の達成度を評価するための主要業績評価指標のことです。
ざっくりいうと、企業活動が上手くいっているかどうかを知るための目安となる数値ということです。

しかしKPIという考え方は、企業活動に限らずあらゆる活動について当てはめることができると思います。
例えば野球に当てはめたら、野手の場合は「出塁率」「盗塁率」「エラー率」などがその野手の優秀さを示す指標としてあげられるかも知れません。

人生に当てはめた場合は「人生が上手くいっているか」を示すための指標ということになります。
このKPIさえ良い状態なら、細かいことは良くわからなくても、人生は何となく良い方向に向かっていそうだ。と言えます。

 

人生のKPI
・快食、快便、快眠
・良いコミュニケーション
・良いストレス

 

それぞれの項目について説明していきますが、KPIというからには具体的な数値で評価出来なければいけません。ただ、人生の良し悪しなんて感覚的な事ですので数字には個人差があります。ここは私の経験則で決めてますのでご了承下さい。自分の感覚と違うと感じたら数値は調整して頂いて構いません。

 

快食、快便、快眠

…いきなり3つが1つにまとめられていますね。ごめんなさい。
快食=1日3食
快便=1日1便(下痢や血便など無し)
快眠=7時間睡眠
これが守られていれば順調な証拠です。
7時間の睡眠時間を確保するのは結構難しいと思います。仕事から帰ってきてグダグダとネットや漫画見たりゲームしたりだとあっという間に睡眠時間は減っていきます。7時間睡眠を確保するためには計画的にメリハリのある生活をする必要があります。
逆に考えると、確保できているなら、常日頃から計画的に体のことを労わるよう意識が出来ているということでしょう。
また、快便に関しては血便、血尿が出た場合は体が問題を抱えているので即座に病院へ行って下さい。

 

良いコミュニケーション

曖昧な指標なので数値化が難しいです。まず「良いコミュニケーション」とは何か?ということです。
相手に向き合って、お互いの目を見て話し、自分の気持ちが相手に伝わったと思えれば「良い」事にします。つまり「普通に」コミニュケーション出来れば良いということです。
それって簡単では!?と思われるかもしれませんが、精神的に余裕のないときはまともに人と向き合って話す余裕すら無くなります。
人と話すときも別の事を考えていて、頭に入ってきません。右耳で聞いたことが左耳から抜けていくような感覚です。なので普通にコミュニケーション出来れば健全な証拠です。
話をする人数は多ければ多い方が良いですが、最低限で1日1人と出来れば良いこととします。ただし、同居の家族との会話は除いて下さい。(これを含めると簡単過ぎるので)

 

良いストレス

ストレスに良いものなんてあるかい!!と思われますが、ここでいうストレスは怒られるとか、我慢する事ではなく、主に「挑戦する事」を意味します。何かしらの「挑戦」をしているか?を問うています。
ただ「挑戦」というと何やらたいそうなチャレンジをしなければならないと思われそうですが、小さな事で良いのです。
「挑戦」ではなく「自ら起こす変化」と言ったほうが良いかもしれません。いつもの通勤ルートを変える、とか小さな事でも良いのです。大きさは関係ない。ただし、自ら起こす必要があるので、他人から面倒な目標を押し付けられて嫌々達成した、みたいなのはダメです。

マンネリ化を打破して、少しでも自分の人生を能動的に変えていく感覚が大切です。

1日に1回は小さな事でも良いので何かしらの「挑戦」が出来れば健全だと考えています。

 

以上の3つのKPIはそれぞれ体の状態、周囲との関わり、内面との関わりを評価するものです。
・快食、快便、快眠
= 体の状態
・良いコミュニケーション
= 周囲(外部)との関わり
・良いストレス
= 内面との関わり

普段の生活を送る中でこれらが達成出来ているかをチェックします。しばらく出来ていない日が続いた場合は、何か問題を抱えている可能性が大です。
その場合は、自分の置かれている環境、自分の考え方を見直して、問題に気づくことから始めましょう。
問題を解決するのは努力が必要と思われますが、良い方向に向かえば『人生のKPI』の数値として現れてくると思います。

安っぽいバイトのサンタコスプレは絶滅して欲しい

クリスマスが近づくと、ティッシュ配りやピザの配達などのアルバイトたちがサンタコスプレし始めますが、あれって子連れだと地味に困るんですよね。

オッさんのコスプレサンタが如何にもダルそうにティッシュ配りしてるのを目撃したりすると、子供が困惑するのです。

 

子供「あれ…?サンタさん…?でもなんか違うような!?」

 

うちの子はまだ4歳ですからサンタクロースは信じているはずです。というか、疑うという高度な考えは持っていないはず。

しかし、バイトのサンタを見ると、なーんか雰囲気が違うということは子供でもわかります。やる気が無いというか、なんとなく負のオーラに満ちているというか、「やらされてる感」が満載なのです。

 

子供「サンタさんって…もしかして普通の人なの…!?」

 

などと思われたらたまったものではありません。今まで築き上げてきたサンタさんの崇高な雰囲気がぶち壊しです。頼むからロマンの欠片も無いバイトのサンタコスプレはやめてくれ!いかにも100均で揃えたような安っちい衣装でサンタのブランドを貶めるな!絶滅しろ!

 

さすがにあれを本物のサンタさんとは言いたく無いので、

「あれはお店の人がサンタさんの格好をしてるんだよ。良い子には本物のサンタさんがプレゼントを届けてくれるから、◯◯ちゃんも頑張って良い子にしようね。」

とでも言うしかありません。

 

売り上げも大事だけど、もう少しロマンというものを大切にして欲しいものです。

安っぽいサンタコスプレの店からは絶対に何も買わないからな!

ということで、全国のピザ屋、ドラッグストア、携帯ショップ等などのみなさま、よろしくお願い致します。

自分の人生の生きるためにはどうすれば良いのか?

皆さんは「自分の人生」を生きていますか?

毎日一生懸命頑張っているが、なんか違うんだよなあと感じてはいませんか?

 

私の場合も感覚的にですが「多分違うだろう」と思っています。

というか、そもそも「自分の人生を生きる」とはなんぞや???という状態です。

 

しかし、自分の子供達には(いや世界中の全ての子供達でもよいのですが)、自分の人生を歩んで欲しいのです。

そのためには親が手本を見せないといけないのですが…どうしたら良いのでしょうか?

 

自分の意思で生きているかのテスト

さてここで、いきなりテストです。

 

突然、好きなだけケーキを食べられる機会に恵まれたとします。

ケーキが大好きなあなたは腹いっぱいケーキを食べたいですが、実は糖尿予備軍なので、命に別状はないけども甘いものは控えろと医者から言われています。

さて、あなたはケーキを食べるでしょうか?

以下の3つから選んで下さい。

  1. 健康を損なうなんてありえない。全く食べない。
  2. 滅多にないチャンス!あとは野となれ山となれ!死にはしないさ!腹いっぱい食べる。
  3. 後で食事を抜くなどして糖分を調節すれば良いだろう。調節可能な分量だけ食べる。

  

どうでしょうか?結果はずーと下にあります(^_^;)

 

1は自律型、2はリスクテイカー型、3はリスク回避型とでも言いましょうか。(分類は適当です)

 

私は間違いなく3です。

自分の欲求もそこそこ満たし、リスクも最低限にする。自分の頭で考えてノーリスク、ローリターンな行動を取っている、それが最も堅実な考え方だと思っていました。

 

…今までは。

 

長い間、リスクを最小化するという考え方で生きてきましたが、最近ふと考える事があります。

 

「これは本当に自分がやりたい生き方なのだろうか?」

と。

 

リスク回避の落とし穴

リスクを取らないという生き方は、自分の意思が反映される度合いが小さいのです。

その時々の環境、他人の意思などに左右される事が多い。

 

問題の例で言うと、自分の欲求を満たす(=ケーキを食べる)ためにはいくつかの条件があります。

 ・ケーキ1つ分の糖分だけで摂取限界量を超えていたら食べられない

・ケーキ毎に糖分量が明示されなければならない

・その糖分量が正しい情報でないといけない

 

結構制約が多いですね。これらはケーキの提供者の都合によるものであり、自分の意思ではどうにもなりません。

 

つまり、自分の頭で考えて最適な方法を選んでいるつもりでも、意思決定の一部を環境や他人に依存してしまっているのです。

 

逆に1や2はほぼ自分の意思で決めています。

健康を損なうから食べない。

何も気にせず食べる。

それだけです。

外部の条件などありません。自分の意思で決めています。

 

1については「医者に止められているから食べない」なので、若干は意思度が落ちるかも知れません。

 

さて、冒頭のクイズでは「自分の意思に従って行動している度合い」(略して意思度)を診断しました。各回答毎の意思度は…

1は意思度90パーセント

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2は意思度100パーセント

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3は意思度50パーセント

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です。

 

もちろん2のようなリスクテイカーは、その場は良くても後で後悔する可能性はあります。いや、きっと後悔する。

ただの馬鹿の可能性もありますが、そうだとしても後先考えずに行動できるのはある意味で才能です。自由人です。

 

そして、他の選択をしたら後悔しないかと言えば、そんなことはない訳です。

何らかの選択肢から決断する以上は、必ず何かしらの後悔はあります。リスクを取らずに欲求を我慢したという後悔です。

 

いきなり全力でリスクを取りに行くのが懸命だとは思いませんが、リスクを避ける事が体に染み付いてしまってると自覚したならば、小さなことでも良いから自分の欲求を全開にして行動してみると良いでしょう。

OLが仕事帰りに今日も頑張ったアタシにご褒美としてちょっと高いけど前から食べたかったアイスを買って帰る、というのも理にかなってるのですね。馬鹿にしてはいけません。

 

まとめ

・リスクを避けるのは合理的だけど、自分の意思が反映されないよ。

・どんな選択をしても必ず後悔はあるから、たまには欲求全開な行動を選んでみよう。

・OLのご褒美は理にかなっている。

・円グラフ作るの楽しい。

 

なんか割と普通な結論になってしまいましたが、今日はこんなところで。

 

認知症老人が事故を起こしたら誰が責任取るの?

老人が運転する車による事故に関するニュースを、最近よくテレビで見ます。物損事故ならともかく、人命が失われる事故も多いです。特に子供が犠牲になった事故については、ニュースを見た多くの人が心を痛めています。

 

ドライバーが認知症の場合、責任能力無しとして不起訴になることが多い様です。「人を殺しても罪にならないのか!?」と憤る人も多いと思いますが、これは仕方がないと思います。認知症患者を有罪にしても更正させようがないですからね。明らかに無駄です。

ただ、被害者とその家族の感情としては納得いかない事も理解出来ます…

 

認知症患者の事故は誰が責任を取るの?

遺族は泣き寝入りするしかないのでしょうか?

家族に認知症患者がいる事を分かっているのに運転させる機会を与えた場合、その家族に罪は無いのでしょうか?

 

弁護士がわかりやすく解説したサイトがありました。

 

認知症患者でない人の場合

刑事責任→本人

民事上の賠償責任→本人

基本的には本人が責任を負うべきなので、たとえ本人に支払い能力が無かったとしても家族に責任が及ぶ事は無いようです。

ただ、本人に支払い能力が無い場合、賠償金の取り立てはなかなか困難になりそうです。

 

認知症患者の場合

刑事責任→無し

民事上の賠償責任→監督責任者(家族、介護施設運営者など)

認知症の程度によっては本人の責任になるケースもある。

 

認知症患者が事故を起こした場合はその監督責任者に責任が及ぶ可能性があります。

従って、認知症患者がいる場合は周りの家族が運転させないように管理する事が重要になります。

しかし、四六時中つきっきりで監視する訳にもいきませんよね…

 

認知症患者の運転を止めるには

一応、免許証返納という手段があります。認知症かどうかは別として高齢になったら自発的に運転免許証を返納するというものです。

でもこれが出来るのは冷静に自己判断ができる人ですよね。認知症患者にはそもそも無理な話なので、この制度に認知症患者に対する抑止力はあまりないと思います。

 

仮に認知症患者に運転免許証を返納させたとしてもなんの意味があるでしょうか?免許証があろうがなかろうがいつものように車を運転するだけだと思います。

結局は自分で運転しないと決めた人でなければ免許証返納の意味はありません。本人の意思が重要なのです。

というか、運転しないと決めれば良いだけなので、特に免許証を返納する必要もありませんね。運転はしないけど証明書代わりに免許証を持ち続ける人もいるかもしれません。

(ただ、返納すれば本人確認書類として使える「運転履歴証明書」が貰えるのであまり持ち続ける意味は無いですが。)

 

じゃあ認知症患者に運転させないためにはどうすれば良いか?

 

非常に簡単なのですが、

 キーをいつもと違う場所に置く

だけで良いと思います。

私の身近にいる認知症患者を見る限り、いつも同じ行動パターンを繰り返しており、普段と違うシチュエーションには対応出来ない場合が多いです。なのでキーの保管場所が変わった場合、見つける事は困難でしょう。

 

非常に単純かつ確実な方法ですが、いくつか問題が…

いつもの場所にキーがない場合、フラストレーションが溜まり、騒いだり暴れたりして家族が大変なおもいをする可能性があります。

また、認知症患者といっても肉親に対してキーを隠すという、ある意味では卑劣な手段を使えるか、という心理的な障壁もあります。

 

それができりゃ苦労はしねーよ!的な対策なのかもしれません。そこをなんとか耐えるのが家族の頑張りどころなのでしょうね… 

そろそろ妊娠報告するのやめませんか

テレビ等での話です。

 

TVで活躍する(or していた)女優さん、タレントさんが妊娠した事を、お昼のバラエティー番組やwebニュースのトップに持ってくるの、そろそろやめませんか?

 

そりゃあ、もちろんおめでたいですよ? 祝福する気持ちはあります。

ても、妊娠ってご当人にとっては超重大イベントではありますが、一般的には極々ありふれたイベントじゃないですか? わざわざニュースとして扱う意図が良く分かりません。

 

パンダの妊娠ならまだ分かりますが。

 

正直言って「◯◯さんがナント!年内には出産予定です!」と言われても、「ふーん」な感じです。

せめて、産まれてから取り上げて頂きたい。そしたら「ふーん」が「へー」位にはなります。

 

てか、メデイアで大きく扱われるほど「もし、死産になったらどうすんだ?」などと余計な事を心配してしまいます。

本当に、出産というものは実際に産まれるまで何が起きるか分かりませんからね!!いくら医療が発達したとしても、事故は起きる可能性はゼロではありませんから!!

浮かれる気持ちは分かりますが、喜びの報告はちょっと早いと思います。

 

妊娠報告に対する私の気持ちをグラフにするとこんな感じです。

 

あ、「腹減った」は「眠い」に置き換えて貰っても結構です。