さて、どうする?

二児の父が考えた子育て方針の備忘録。父親目線で育児について気づいた事を書いてます。

安っぽいバイトのサンタコスプレは絶滅して欲しい

クリスマスが近づくと、ティッシュ配りやピザの配達などのアルバイトたちがサンタコスプレし始めますが、あれって子連れだと地味に困るんですよね。

オッさんのコスプレサンタが如何にもダルそうにティッシュ配りしてるのを目撃したりすると、子供が困惑するのです。

 

子供「あれ…?サンタさん…?でもなんか違うような!?」

 

うちの子はまだ4歳ですからサンタクロースは信じているはずです。というか、疑うという高度な考えは持っていないはず。

しかし、バイトのサンタを見ると、なーんか雰囲気が違うということは子供でもわかります。やる気が無いというか、なんとなく負のオーラに満ちているというか、「やらされてる感」が満載なのです。

 

子供「サンタさんって…もしかして普通の人なの…!?」

 

などと思われたらたまったものではありません。今まで築き上げてきたサンタさんの崇高な雰囲気がぶち壊しです。頼むからロマンの欠片も無いバイトのサンタコスプレはやめてくれ!いかにも100均で揃えたような安っちい衣装でサンタのブランドを貶めるな!絶滅しろ!

 

さすがにあれを本物のサンタさんとは言いたく無いので、

「あれはお店の人がサンタさんの格好をしてるんだよ。良い子には本物のサンタさんがプレゼントを届けてくれるから、◯◯ちゃんも頑張って良い子にしようね。」

とでも言うしかありません。

 

売り上げも大事だけど、もう少しロマンというものを大切にして欲しいものです。

安っぽいサンタコスプレの店からは絶対に何も買わないからな!

ということで、全国のピザ屋、ドラッグストア、携帯ショップ等などのみなさま、よろしくお願い致します。

自分の人生の生きるためにはどうすれば良いのか?

皆さんは「自分の人生」を生きていますか?

毎日一生懸命頑張っているが、なんか違うんだよなあと感じてはいませんか?

 

私の場合も感覚的にですが「多分違うだろう」と思っています。

というか、そもそも「自分の人生を生きる」とはなんぞや???という状態です。

 

しかし、自分の子供達には(いや世界中の全ての子供達でもよいのですが)、自分の人生を歩んで欲しいのです。

そのためには親が手本を見せないといけないのですが…どうしたら良いのでしょうか?

 

自分の意思で生きているかのテスト

さてここで、いきなりテストです。

 

突然、好きなだけケーキを食べられる機会に恵まれたとします。

ケーキが大好きなあなたは腹いっぱいケーキを食べたいですが、実は糖尿予備軍なので、命に別状はないけども甘いものは控えろと医者から言われています。

さて、あなたはケーキを食べるでしょうか?

以下の3つから選んで下さい。

  1. 健康を損なうなんてありえない。全く食べない。
  2. 滅多にないチャンス!あとは野となれ山となれ!死にはしないさ!腹いっぱい食べる。
  3. 後で食事を抜くなどして糖分を調節すれば良いだろう。調節可能な分量だけ食べる。

  

どうでしょうか?結果はずーと下にあります(^_^;)

 

1は自律型、2はリスクテイカー型、3はリスク回避型とでも言いましょうか。(分類は適当です)

 

私は間違いなく3です。

自分の欲求もそこそこ満たし、リスクも最低限にする。自分の頭で考えてノーリスク、ローリターンな行動を取っている、それが最も堅実な考え方だと思っていました。

 

…今までは。

 

長い間、リスクを最小化するという考え方で生きてきましたが、最近ふと考える事があります。

 

「これは本当に自分がやりたい生き方なのだろうか?」

と。

 

リスク回避の落とし穴

リスクを取らないという生き方は、自分の意思が反映される度合いが小さいのです。

その時々の環境、他人の意思などに左右される事が多い。

 

問題の例で言うと、自分の欲求を満たす(=ケーキを食べる)ためにはいくつかの条件があります。

 ・ケーキ1つ分の糖分だけで摂取限界量を超えていたら食べられない

・ケーキ毎に糖分量が明示されなければならない

・その糖分量が正しい情報でないといけない

 

結構制約が多いですね。これらはケーキの提供者の都合によるものであり、自分の意思ではどうにもなりません。

 

つまり、自分の頭で考えて最適な方法を選んでいるつもりでも、意思決定の一部を環境や他人に依存してしまっているのです。

 

逆に1や2はほぼ自分の意思で決めています。

健康を損なうから食べない。

何も気にせず食べる。

それだけです。

外部の条件などありません。自分の意思で決めています。

 

1については「医者に止められているから食べない」なので、若干は意思度が落ちるかも知れません。

 

さて、冒頭のクイズでは「自分の意思に従って行動している度合い」(略して意思度)を診断しました。各回答毎の意思度は…

1は意思度90パーセント

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2は意思度100パーセント

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3は意思度50パーセント

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です。

 

もちろん2のようなリスクテイカーは、その場は良くても後で後悔する可能性はあります。いや、きっと後悔する。

ただの馬鹿の可能性もありますが、そうだとしても後先考えずに行動できるのはある意味で才能です。自由人です。

 

そして、他の選択をしたら後悔しないかと言えば、そんなことはない訳です。

何らかの選択肢から決断する以上は、必ず何かしらの後悔はあります。リスクを取らずに欲求を我慢したという後悔です。

 

いきなり全力でリスクを取りに行くのが懸命だとは思いませんが、リスクを避ける事が体に染み付いてしまってると自覚したならば、小さなことでも良いから自分の欲求を全開にして行動してみると良いでしょう。

OLが仕事帰りに今日も頑張ったアタシにご褒美としてちょっと高いけど前から食べたかったアイスを買って帰る、というのも理にかなってるのですね。馬鹿にしてはいけません。

 

まとめ

・リスクを避けるのは合理的だけど、自分の意思が反映されないよ。

・どんな選択をしても必ず後悔はあるから、たまには欲求全開な行動を選んでみよう。

・OLのご褒美は理にかなっている。

・円グラフ作るの楽しい。

 

なんか割と普通な結論になってしまいましたが、今日はこんなところで。

 

認知症老人が事故を起こしたら誰が責任取るの?

老人が運転する車による事故に関するニュースを、最近よくテレビで見ます。物損事故ならともかく、人命が失われる事故も多いです。特に子供が犠牲になった事故については、ニュースを見た多くの人が心を痛めています。

 

ドライバーが認知症の場合、責任能力無しとして不起訴になることが多い様です。「人を殺しても罪にならないのか!?」と憤る人も多いと思いますが、これは仕方がないと思います。認知症患者を有罪にしても更正させようがないですからね。明らかに無駄です。

ただ、被害者とその家族の感情としては納得いかない事も理解出来ます…

 

認知症患者の事故は誰が責任を取るの?

遺族は泣き寝入りするしかないのでしょうか?

家族に認知症患者がいる事を分かっているのに運転させる機会を与えた場合、その家族に罪は無いのでしょうか?

 

弁護士がわかりやすく解説したサイトがありました。

 

認知症患者でない人の場合

刑事責任→本人

民事上の賠償責任→本人

基本的には本人が責任を負うべきなので、たとえ本人に支払い能力が無かったとしても家族に責任が及ぶ事は無いようです。

ただ、本人に支払い能力が無い場合、賠償金の取り立てはなかなか困難になりそうです。

 

認知症患者の場合

刑事責任→無し

民事上の賠償責任→監督責任者(家族、介護施設運営者など)

認知症の程度によっては本人の責任になるケースもある。

 

認知症患者が事故を起こした場合はその監督責任者に責任が及ぶ可能性があります。

従って、認知症患者がいる場合は周りの家族が運転させないように管理する事が重要になります。

しかし、四六時中つきっきりで監視する訳にもいきませんよね…

 

認知症患者の運転を止めるには

一応、免許証返納という手段があります。認知症かどうかは別として高齢になったら自発的に運転免許証を返納するというものです。

でもこれが出来るのは冷静に自己判断ができる人ですよね。認知症患者にはそもそも無理な話なので、この制度に認知症患者に対する抑止力はあまりないと思います。

 

仮に認知症患者に運転免許証を返納させたとしてもなんの意味があるでしょうか?免許証があろうがなかろうがいつものように車を運転するだけだと思います。

結局は自分で運転しないと決めた人でなければ免許証返納の意味はありません。本人の意思が重要なのです。

というか、運転しないと決めれば良いだけなので、特に免許証を返納する必要もありませんね。運転はしないけど証明書代わりに免許証を持ち続ける人もいるかもしれません。

(ただ、返納すれば本人確認書類として使える「運転履歴証明書」が貰えるのであまり持ち続ける意味は無いですが。)

 

じゃあ認知症患者に運転させないためにはどうすれば良いか?

 

非常に簡単なのですが、

 キーをいつもと違う場所に置く

だけで良いと思います。

私の身近にいる認知症患者を見る限り、いつも同じ行動パターンを繰り返しており、普段と違うシチュエーションには対応出来ない場合が多いです。なのでキーの保管場所が変わった場合、見つける事は困難でしょう。

 

非常に単純かつ確実な方法ですが、いくつか問題が…

いつもの場所にキーがない場合、フラストレーションが溜まり、騒いだり暴れたりして家族が大変なおもいをする可能性があります。

また、認知症患者といっても肉親に対してキーを隠すという、ある意味では卑劣な手段を使えるか、という心理的な障壁もあります。

 

それができりゃ苦労はしねーよ!的な対策なのかもしれません。そこをなんとか耐えるのが家族の頑張りどころなのでしょうね… 

そろそろ妊娠報告するのやめませんか

テレビ等での話です。

 

TVで活躍する(or していた)女優さん、タレントさんが妊娠した事を、お昼のバラエティー番組やwebニュースのトップに持ってくるの、そろそろやめませんか?

 

そりゃあ、もちろんおめでたいですよ? 祝福する気持ちはあります。

ても、妊娠ってご当人にとっては超重大イベントではありますが、一般的には極々ありふれたイベントじゃないですか? わざわざニュースとして扱う意図が良く分かりません。

 

パンダの妊娠ならまだ分かりますが。

 

正直言って「◯◯さんがナント!年内には出産予定です!」と言われても、「ふーん」な感じです。

せめて、産まれてから取り上げて頂きたい。そしたら「ふーん」が「へー」位にはなります。

 

てか、メデイアで大きく扱われるほど「もし、死産になったらどうすんだ?」などと余計な事を心配してしまいます。

本当に、出産というものは実際に産まれるまで何が起きるか分かりませんからね!!いくら医療が発達したとしても、事故は起きる可能性はゼロではありませんから!!

浮かれる気持ちは分かりますが、喜びの報告はちょっと早いと思います。

 

妊娠報告に対する私の気持ちをグラフにするとこんな感じです。

 

あ、「腹減った」は「眠い」に置き換えて貰っても結構です。

アレルゲン表記が分かりにくい件について

うちの子は2人ともアレルギー持ちです( ;∀;) 2人とも卵がダメなんです。

なので、食品を買うときは必ず原材料を見てアレルゲンが含まれるかをチェックしなければなりません。これがまた曲者で、慣れていないと難しいところがあります。

 

※以下の内容は私が独自に調べたものですが間違いがあったり、情報が古くなる可能性があります。この情報は参考程度に留め、正確には自分自身で調べるようお願い致します。実際にアレルギーをお持ちの方は特に。

 

アレルゲンとして指定されている原材料

食品衛生法でアレルゲンとして指定されているのは

  • 特定原材料(7品目)
  • 特定原材料に準ずるもの(20品目)

の合計27品目です。実は表示義務があるのは特定原材料(7品目)だけなので注意が必要です。

 

  • 特定原材料 7品目

えび、かに、小麦、そば、卵、乳、落花生

表示義務あり

食物アレルギー症状を引き起こすことが明らかになった食品のうち、特に発症数、重篤度から勘案して表示する必要性の高いものを表示基準府令において特定原材料として定め、次の7品目の表示を義務付けている。

 

  • 特定原材料に準ずるもの 20品目

あわび、いか、いくら、オレンジ、カシューナッツキウイフルーツ、牛肉、くるみ、ごま、さけ、さば、大豆、鶏肉、バナナ、豚肉、まつたけ、もも、やまいも、りんご、ゼラチン

表示義務なし

食物アレルギー症状を引き起こすことが明らかになった食品のうち、症例数や重篤
な症状を呈する者の数が継続して相当数みられるが、特定原材料に比べると少ないものを特定原材料に準ずるものとして、次の 20 品目を原材料として含む加工食品については、当該食品を原材料として含む旨を可能な限り表示するよう努めることとする。

 

アレルゲンの表示方法

2つのパターンあるので紹介してみます。

 

1. 原材料/添加物欄以外の場所に表記

消費者としてはこれが一番ありがたいパターンです。

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一目でわかるので大変ありがたいです。全ての商品がこの表示をしてくれると助かるのですが、それほど多くはないのが現状です。

なお、アレルゲンは原材料/添加物欄にも表記されています。乳成分はホエイパウダー、大豆は大豆たんぱくに含まれている様です。

 

2. 原材料/添加物欄に表記

原材料/添加物欄の中に記載するパターンです。細いですがさらに二通りの表記方法に分かれています。

  • 原材料ごとに(〇〇を含む)、(〇〇由来)という形式で個別記載
  • 最後にまとめて(原材料の一部に〇〇を含む。)という形式で一括記載

 

こちらは前者のパターン。

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酵母エキスに「大豆」が含まれている事がわかりますね。

 

こちらは後者のパターン

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こちらも「大豆」を含んでいる事が分かります。ただ、原材料名には大豆らしきものは有りませんね。多分、乳化剤が大豆由来なのかな?

この様に一括表記だと何がアレルゲンを含む材料なのか分からない場合があります。

 

さて、

この表記でアレルゲンは大豆だけと思った人は誤りです。

 

例えば後者の方は、原材料を個別に見ていくと全粉乳、練乳パウダー、脱脂粉乳があるのでアレルゲンとして「乳」が含まれています。

 

 実は省略できる特定原材料表記

たとえば「卵」を例とします。

「卵」と原材料欄に書かれている場合は、

(卵を含む)、(卵由来)、(原材料の一部に卵を含む)

の表記は省略可能です。まあ、「卵(卵を含む)」では重複してしまうので理解できますが。

 

そして「玉子」「たまご」「エッグ」「鶏卵」なども同様に省略可能です。これらを代替表記と言います。

さらに、「オムレツ」「かに玉」などの一般的に卵を含む料理についても同様に表記は不要です。

 

もうこの時点で卵はほぼ全般に省略可能なのだとわかります。

私は一時期、完全に感違いしていて一括表記の場合は最後の「(原材料の一部に〇〇を含む)」の部分だけを見れば良いと思ってました。
もしかしたらアレルゲン食べさせてたかも!?

 

さて、もっと大変なのが「乳」です。

乳製品には「種類別」という括りで様々な名称があり、全て特定原材料表記を省略可能です。

 

「種類別」というのは生乳、牛乳、発酵乳、バター、アイスクリーム類…などが有りますが全て(乳を含む)の表記は省略可能です。

バターやアイスクリームは「乳」の文字は無いですが省略可能なので注意が必要です。

他に特に分かり辛いものはこちらです。

乳酸菌飲料 → 「乳」含む

乳酸菌 → 「乳」含まない

乳化剤 → 「乳」含まない

正直、これって初見殺しですよなね。

なぜ乳酸菌は含まないのに、乳酸菌飲料は含むのか!? 想像では分からないパターンのやつです。

 

まとめ

  • 原材料/添加物欄以外の場所にまとめて表示して貰えると助かる!
  • そうで無い場合は、原材料/添加物欄を全てチェックしてね!

 

という事で、アレルギーの子供を持つ親としては、原材料/添加物欄の外にまとめて表記する商品が増えることを願うばかりです。

飲酒運転しても大丈夫と思っている人達

東名高速で痛ましい事故がありました。

 

子供を悲しませる事故というのは、子を持つ親としても見ていて本当に辛いですし、またそれが偶発ではなく1人の人間の身勝手な行動に起因しているとなると憤りを感じます。

 

この事件を見て、世の中には交通ルールについて甘く考えている人がいる、という事を再認識させられました。残念ながら、あまりにかけ離れた常識を持つ人が一定数はいるのです。

 

上の事故とはシチュエーションは全く異なりますが、以前、偶然に聞いてしまった飲酒運転に関する誤った認識についての話を紹介します。

 

銭湯で聞いた恐ろしい会話

何年か前の話です。スーパー銭湯でゆっくり湯に浸かっている時に、近くにいた若い男性二人組の会話がボンヤリと聞こえてきました。

男「…おれは酒飲んでもちゃんと運転出来るよ。」

友達「いやダメでしょw やめろって。」

男「なんで?今まで事故ったことないよ?」

友達「今まではそうだったかも知れないけど、今後は分からないだろ。」

男「それを言ったら酒飲んでなくても同じでしょ。誰だって事故の可能性はあるだろ。」

友達「いや、そりゃそうだけど…」

 

男は何故か運転に絶対的な自信を持っており、全く態度を改めるそぶりが無かったため、友達も説得は無理だと思ったのかここで話題は終わってしまいました。

 

そんなやりとりを聞いて、私もこの男を説得するのは一筋縄ではいかないだろうと思いました。一度痛い目に遭わないと分からないタイプの人かもしれません。

ただ、飲酒運転の場合は何かが起きてからでは遅いのです。

 

何が違うのだろう?

最初は想像力が欠如しているのではないかと考えてました。つまり、自分の行動がどの様な結果引き起こすか想像出来ない人だと。

しかし「酒飲んでなくても、誰だって事故の可能性はある」と言っているので、事故を起こしてしまう可能性がある事は理解しているようです。

 

それが分かってるのに、何で飲酒運転なんかできるんだo(`ω´ )o

 

彼に欠けているのは「目に見えない事実をリアルとして受け入れる力」ではないでしょうか? なんとなく想像は出来る、しかし目の前で起きていない事なのでリアルには受け入れられない。

当たり前ですが、現実に起こりえる事は目に見えても見えなくても全てリアルなのです。自分に都合の悪いことを、直接見えないからといって無かった事にするのは現実を受け入れていないという事です。

 

似た例としては、ネット上で見知らぬ誰かを根拠もなく厳しい言葉で批判する人がいます。恐らくはネットワークの先に生身の人間がいる事は知っているはずですが、目に見えない為に精神的な距離感が遠くなり「まあ、いいか」と気に留めないでしまう…きっと、本人を目の前にしたら同じ様に批判は出来ないはずです。

 

それって"教育の失敗"では?

教育によって理解力や計算力や創造力などの能力を伸ばす事は出来ます。

しかし「事実を事実として受け入れる」という事は全ての事の土台であり、それが出来ないとどんなに高度なスキルを持っていてもおかしな方向に進んでしまいます。もちろん人間ですから完璧は難しいですし、時には判断を誤ることもあるでしょう。

というか、基本的には情報を受け入れる際には何らかのバイアスがかかるものです(正常性バイアス)。しかしそれでもできる限りバイアスを排除して「事実を受け入れる」姿勢を持ち続けることが大切です。

人命に関わる事に関しては特に。

 

これは学校で教えることではありません。良い先生に当たれば教えてくれるかもしれませんが、基本的には親の責任です。出来ないとしたら、それはある意味「教育の失敗」なのだと思います。

 

親として出来ること

現実を受け入れる、ということは本来は辛いことでは無いと思います。むしろ精神的に楽になる事の方が多い。だって事実は事実なのですから自分ではどうしようもない事が殆どです。余計な判断はせずに事実に従うだけで良いのです。

東名の事故だって、最初に注意された時点で「そっか、邪魔だったか。」と事実だけを認識していれば良かったのです。

しかし、過度に恐れたり、必要以上の欲望を持つと、事実やルールを自分の都合の良い様に捻じ曲げる方向に思考が向かってしまいます。

 

今のところ出来るのはこれくらいでしょうか…

  • 子供が何かやらかした際に、執拗に叱らない。

あまり叱り過ぎると、不都合な事実を隠す様になってしまうと思います。まず事実をネガティヴに捉え過ぎない様にするのが大切だと思います。少なくとも親に対しては良い事も悪い事もありのままを伝えられる様になって欲しい。

 

  • 生活の中でルールを決めておき、どんな状況でもルール違反はダメだと徹底する。

個人の欲望よりもルールが勝る事を伝えたいためです。ルールの範囲内では望みを叶えるけど、そうでない場合はダメだと徹底する。

例えば、うちの子は夜9時以降になっても絵本を読みたがるので、心を鬼👹 にして拒否しています。本当に小さなことですが…しかもたまに破るし…💧

 

 

良くも悪くも現実を素直に受け入れられるように育てていきたいです。「現実」がどんなであれ、その人にとっては「解釈」が全てですからね。

 

『事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。』

フリードリヒ・ニーチェ

幼稚園の授業参観に初潜入〜甘えさせても子は育つ〜

ということで、長女(3歳)の幼稚園の授業参観に初めて行ったので感想を書いてみます。

 

なお、長女は家ではかなりのパパっ子で、私が家にいる時はほとんど私にくっついています。フロもトイレも食事もとにかく生活の全てにおいてです。たまに一人でコッソリと他の部屋に行くと「パパどこー?パパー(/ _ ; )」てな感じです。なぜかママが居なくなってもこういう反応はしません。パパとして冥利に尽きるのですが、これはこれで心配ですね。

 

まあそんなわけで、私が授業参観に行ったら抱っこやらなんやらせがまれて授業どころじゃないのでは!?と内心かなり不安でした。

 

が、そんな心配は無用でしたヽ(´▽`)/

 

幼稚園では父が見ていることなど殆ど気にもせず、しっかり先生を見て、指示された通りに楽しそうに身体を動かしていました。

授業の最初と最後に先生から親に挨拶するように促されて初めて、こちらを見て手を振ってくれました。なんというか、家にいるのと本当に同一人物か!?と思うほどちゃんとしていてビックリでした。

 

いつも甘えさせてばかりなので幼稚園でちゃんと活動出来ているのか心配でしたが、大丈夫でした。やったねヽ(´▽`)/

 

私の子育て方針としては、抱っこやおんぶを要求されたら極力応じるようにしています。別に甘やかしのつもりではなく、親子の濃密なコミニュケーションと考えているからです。まだ3歳なのでしつけよりも、親と子の信頼関係を築くのが最優先と考えています。

副作用としては、子供としても抱っこやおんぶは望めば当然やってもらえるものと認識している事です。抱っこが出来ない状況(荷物で手が塞がっているなど)でも要求されてしまうので、断ると機嫌が悪くなり最悪の場合は泣いて動かなくなってしまいます。泣き叫ぶ子を無理やり担ぎ上げるので、ハトヤCM状態です。

 

ハトヤCM。16秒辺り参照。

 

その場合は「よーし競争だ!」と言って小走りすればキャッキャと走って付いて来るのです。ふふふ、単純なやつめ。

 

まあ、そんな事もあり、授業放ったらかしで抱っこを要求されたらどうしよう!?とビクビクしていましたが杞憂に終わって良かった!

 

普段はベッタリでも幼稚園ではちゃんと一人で出来ている事が確認出来たので、今後も思う存分ベタベタしようと思います。ヤッホイ。