そろそろ妊娠報告するのやめませんか
テレビ等での話です。
TVで活躍する(or していた)女優さん、タレントさんが妊娠した事を、お昼のバラエティー番組やwebニュースのトップに持ってくるの、そろそろやめませんか?
そりゃあ、もちろんおめでたいですよ? 祝福する気持ちはあります。
ても、妊娠ってご当人にとっては超重大イベントではありますが、一般的には極々ありふれたイベントじゃないですか? わざわざニュースとして扱う意図が良く分かりません。
パンダの妊娠ならまだ分かりますが。
正直言って「◯◯さんがナント!年内には出産予定です!」と言われても、「ふーん」な感じです。
せめて、産まれてから取り上げて頂きたい。そしたら「ふーん」が「へー」位にはなります。
てか、メデイアで大きく扱われるほど「もし、死産になったらどうすんだ?」などと余計な事を心配してしまいます。
本当に、出産というものは実際に産まれるまで何が起きるか分かりませんからね!!いくら医療が発達したとしても、事故は起きる可能性はゼロではありませんから!!
浮かれる気持ちは分かりますが、喜びの報告はちょっと早いと思います。
妊娠報告に対する私の気持ちをグラフにするとこんな感じです。
あ、「腹減った」は「眠い」に置き換えて貰っても結構です。
アレルゲン表記が分かりにくい件について
うちの子は2人ともアレルギー持ちです( ;∀;) 2人とも卵がダメなんです。
なので、食品を買うときは必ず原材料を見てアレルゲンが含まれるかをチェックしなければなりません。これがまた曲者で、慣れていないと難しいところがあります。
※以下の内容は私が独自に調べたものですが間違いがあったり、情報が古くなる可能性があります。この情報は参考程度に留め、正確には自分自身で調べるようお願い致します。実際にアレルギーをお持ちの方は特に。
アレルゲンとして指定されている原材料
食品衛生法でアレルゲンとして指定されているのは
- 特定原材料(7品目)
- 特定原材料に準ずるもの(20品目)
の合計27品目です。実は表示義務があるのは特定原材料(7品目)だけなので注意が必要です。
- 特定原材料 7品目
えび、かに、小麦、そば、卵、乳、落花生
表示義務あり
食物アレルギー症状を引き起こすことが明らかになった食品のうち、特に発症数、重篤度から勘案して表示する必要性の高いものを表示基準府令において特定原材料として定め、次の7品目の表示を義務付けている。
- 特定原材料に準ずるもの 20品目
あわび、いか、いくら、オレンジ、カシューナッツ、キウイフルーツ、牛肉、くるみ、ごま、さけ、さば、大豆、鶏肉、バナナ、豚肉、まつたけ、もも、やまいも、りんご、ゼラチン
表示義務なし
食物アレルギー症状を引き起こすことが明らかになった食品のうち、症例数や重篤
な症状を呈する者の数が継続して相当数みられるが、特定原材料に比べると少ないものを特定原材料に準ずるものとして、次の 20 品目を原材料として含む加工食品については、当該食品を原材料として含む旨を可能な限り表示するよう努めることとする。
アレルゲンの表示方法
2つのパターンあるので紹介してみます。
1. 原材料/添加物欄以外の場所に表記
消費者としてはこれが一番ありがたいパターンです。
一目でわかるので大変ありがたいです。全ての商品がこの表示をしてくれると助かるのですが、それほど多くはないのが現状です。
なお、アレルゲンは原材料/添加物欄にも表記されています。乳成分はホエイパウダー、大豆は大豆たんぱくに含まれている様です。
2. 原材料/添加物欄に表記
原材料/添加物欄の中に記載するパターンです。細いですがさらに二通りの表記方法に分かれています。
- 原材料ごとに(〇〇を含む)、(〇〇由来)という形式で個別記載
- 最後にまとめて(原材料の一部に〇〇を含む。)という形式で一括記載
こちらは前者のパターン。
酵母エキスに「大豆」が含まれている事がわかりますね。
こちらは後者のパターン
こちらも「大豆」を含んでいる事が分かります。ただ、原材料名には大豆らしきものは有りませんね。多分、乳化剤が大豆由来なのかな?
この様に一括表記だと何がアレルゲンを含む材料なのか分からない場合があります。
さて、
この表記でアレルゲンは大豆だけと思った人は誤りです。
例えば後者の方は、原材料を個別に見ていくと全粉乳、練乳パウダー、脱脂粉乳があるのでアレルゲンとして「乳」が含まれています。
実は省略できる特定原材料表記
たとえば「卵」を例とします。
「卵」と原材料欄に書かれている場合は、
(卵を含む)、(卵由来)、(原材料の一部に卵を含む)
の表記は省略可能です。まあ、「卵(卵を含む)」では重複してしまうので理解できますが。
そして「玉子」「たまご」「エッグ」「鶏卵」なども同様に省略可能です。これらを代替表記と言います。
さらに、「オムレツ」「かに玉」などの一般的に卵を含む料理についても同様に表記は不要です。
もうこの時点で卵はほぼ全般に省略可能なのだとわかります。
私は一時期、完全に感違いしていて一括表記の場合は最後の「(原材料の一部に〇〇を含む)」の部分だけを見れば良いと思ってました。
もしかしたらアレルゲン食べさせてたかも!?
さて、もっと大変なのが「乳」です。
乳製品には「種類別」という括りで様々な名称があり、全て特定原材料表記を省略可能です。
「種類別」というのは生乳、牛乳、発酵乳、バター、アイスクリーム類…などが有りますが全て(乳を含む)の表記は省略可能です。
バターやアイスクリームは「乳」の文字は無いですが省略可能なので注意が必要です。
他に特に分かり辛いものはこちらです。
乳酸菌飲料 → 「乳」含む
乳酸菌 → 「乳」含まない
乳化剤 → 「乳」含まない
正直、これって初見殺しですよなね。
なぜ乳酸菌は含まないのに、乳酸菌飲料は含むのか!? 想像では分からないパターンのやつです。
まとめ
- 原材料/添加物欄以外の場所にまとめて表示して貰えると助かる!
- そうで無い場合は、原材料/添加物欄を全てチェックしてね!
という事で、アレルギーの子供を持つ親としては、原材料/添加物欄の外にまとめて表記する商品が増えることを願うばかりです。
飲酒運転しても大丈夫と思っている人達
東名高速で痛ましい事故がありました。
子供を悲しませる事故というのは、子を持つ親としても見ていて本当に辛いですし、またそれが偶発ではなく1人の人間の身勝手な行動に起因しているとなると憤りを感じます。
この事件を見て、世の中には交通ルールについて甘く考えている人がいる、という事を再認識させられました。残念ながら、あまりにかけ離れた常識を持つ人が一定数はいるのです。
上の事故とはシチュエーションは全く異なりますが、以前、偶然に聞いてしまった飲酒運転に関する誤った認識についての話を紹介します。
銭湯で聞いた恐ろしい会話
何年か前の話です。スーパー銭湯でゆっくり湯に浸かっている時に、近くにいた若い男性二人組の会話がボンヤリと聞こえてきました。
男「…おれは酒飲んでもちゃんと運転出来るよ。」
友達「いやダメでしょw やめろって。」
男「なんで?今まで事故ったことないよ?」
友達「今まではそうだったかも知れないけど、今後は分からないだろ。」
男「それを言ったら酒飲んでなくても同じでしょ。誰だって事故の可能性はあるだろ。」
友達「いや、そりゃそうだけど…」
男は何故か運転に絶対的な自信を持っており、全く態度を改めるそぶりが無かったため、友達も説得は無理だと思ったのかここで話題は終わってしまいました。
そんなやりとりを聞いて、私もこの男を説得するのは一筋縄ではいかないだろうと思いました。一度痛い目に遭わないと分からないタイプの人かもしれません。
ただ、飲酒運転の場合は何かが起きてからでは遅いのです。
何が違うのだろう?
最初は想像力が欠如しているのではないかと考えてました。つまり、自分の行動がどの様な結果引き起こすか想像出来ない人だと。
しかし「酒飲んでなくても、誰だって事故の可能性はある」と言っているので、事故を起こしてしまう可能性がある事は理解しているようです。
それが分かってるのに、何で飲酒運転なんかできるんだo(`ω´ )o
彼に欠けているのは「目に見えない事実をリアルとして受け入れる力」ではないでしょうか? なんとなく想像は出来る、しかし目の前で起きていない事なのでリアルには受け入れられない。
当たり前ですが、現実に起こりえる事は目に見えても見えなくても全てリアルなのです。自分に都合の悪いことを、直接見えないからといって無かった事にするのは現実を受け入れていないという事です。
似た例としては、ネット上で見知らぬ誰かを根拠もなく厳しい言葉で批判する人がいます。恐らくはネットワークの先に生身の人間がいる事は知っているはずですが、目に見えない為に精神的な距離感が遠くなり「まあ、いいか」と気に留めないでしまう…きっと、本人を目の前にしたら同じ様に批判は出来ないはずです。
それって"教育の失敗"では?
教育によって理解力や計算力や創造力などの能力を伸ばす事は出来ます。
しかし「事実を事実として受け入れる」という事は全ての事の土台であり、それが出来ないとどんなに高度なスキルを持っていてもおかしな方向に進んでしまいます。もちろん人間ですから完璧は難しいですし、時には判断を誤ることもあるでしょう。
というか、基本的には情報を受け入れる際には何らかのバイアスがかかるものです(正常性バイアス)。しかしそれでもできる限りバイアスを排除して「事実を受け入れる」姿勢を持ち続けることが大切です。
人命に関わる事に関しては特に。
これは学校で教えることではありません。良い先生に当たれば教えてくれるかもしれませんが、基本的には親の責任です。出来ないとしたら、それはある意味「教育の失敗」なのだと思います。
親として出来ること
現実を受け入れる、ということは本来は辛いことでは無いと思います。むしろ精神的に楽になる事の方が多い。だって事実は事実なのですから自分ではどうしようもない事が殆どです。余計な判断はせずに事実に従うだけで良いのです。
東名の事故だって、最初に注意された時点で「そっか、邪魔だったか。」と事実だけを認識していれば良かったのです。
しかし、過度に恐れたり、必要以上の欲望を持つと、事実やルールを自分の都合の良い様に捻じ曲げる方向に思考が向かってしまいます。
今のところ出来るのはこれくらいでしょうか…
- 子供が何かやらかした際に、執拗に叱らない。
あまり叱り過ぎると、不都合な事実を隠す様になってしまうと思います。まず事実をネガティヴに捉え過ぎない様にするのが大切だと思います。少なくとも親に対しては良い事も悪い事もありのままを伝えられる様になって欲しい。
- 生活の中でルールを決めておき、どんな状況でもルール違反はダメだと徹底する。
個人の欲望よりもルールが勝る事を伝えたいためです。ルールの範囲内では望みを叶えるけど、そうでない場合はダメだと徹底する。
例えば、うちの子は夜9時以降になっても絵本を読みたがるので、心を鬼👹 にして拒否しています。本当に小さなことですが…しかもたまに破るし…💧
良くも悪くも現実を素直に受け入れられるように育てていきたいです。「現実」がどんなであれ、その人にとっては「解釈」が全てですからね。
『事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。』
幼稚園の授業参観に初潜入〜甘えさせても子は育つ〜
ということで、長女(3歳)の幼稚園の授業参観に初めて行ったので感想を書いてみます。
なお、長女は家ではかなりのパパっ子で、私が家にいる時はほとんど私にくっついています。フロもトイレも食事もとにかく生活の全てにおいてです。たまに一人でコッソリと他の部屋に行くと「パパどこー?パパー(/ _ ; )」てな感じです。なぜかママが居なくなってもこういう反応はしません。パパとして冥利に尽きるのですが、これはこれで心配ですね。
まあそんなわけで、私が授業参観に行ったら抱っこやらなんやらせがまれて授業どころじゃないのでは!?と内心かなり不安でした。
が、そんな心配は無用でしたヽ(´▽`)/
幼稚園では父が見ていることなど殆ど気にもせず、しっかり先生を見て、指示された通りに楽しそうに身体を動かしていました。
授業の最初と最後に先生から親に挨拶するように促されて初めて、こちらを見て手を振ってくれました。なんというか、家にいるのと本当に同一人物か!?と思うほどちゃんとしていてビックリでした。
いつも甘えさせてばかりなので幼稚園でちゃんと活動出来ているのか心配でしたが、大丈夫でした。やったねヽ(´▽`)/
私の子育て方針としては、抱っこやおんぶを要求されたら極力応じるようにしています。別に甘やかしのつもりではなく、親子の濃密なコミニュケーションと考えているからです。まだ3歳なのでしつけよりも、親と子の信頼関係を築くのが最優先と考えています。
副作用としては、子供としても抱っこやおんぶは望めば当然やってもらえるものと認識している事です。抱っこが出来ない状況(荷物で手が塞がっているなど)でも要求されてしまうので、断ると機嫌が悪くなり最悪の場合は泣いて動かなくなってしまいます。泣き叫ぶ子を無理やり担ぎ上げるので、ハトヤCM状態です。
ハトヤCM。16秒辺り参照。
その場合は「よーし競争だ!」と言って小走りすればキャッキャと走って付いて来るのです。ふふふ、単純なやつめ。
まあ、そんな事もあり、授業放ったらかしで抱っこを要求されたらどうしよう!?とビクビクしていましたが杞憂に終わって良かった!
普段はベッタリでも幼稚園ではちゃんと一人で出来ている事が確認出来たので、今後も思う存分ベタベタしようと思います。ヤッホイ。
褒めるも叱るもタイミングが大事
私の経験に基づくただの自論なのですが、小さい子供を褒めたり叱ったりする際にはタイミングが大事だなぁ、と最近考えています。ここでいう「小さい子供」とは大体3歳くらいまでの想定です。
子供が何か良いまたは悪いことをした場合、その場で間を空けずにすぐに褒めるor叱ります。そして、その場限りでスパッと終わらせる。過ぎた事をしつこく褒めたり叱り続けないようにしています。たとえ子供が理解してないとしても、理解出来るまで延々と理由を説明したりはしません。無理にごめんなさいと言わせる事も無いです。
3歳頃だとまだ因果関係が理解出来ないようです。もしかしたら他のご家庭では異なるかもしれませんが、少なくとも我が家の長女はそうです。
我が家でも大変参考にしているNHKの「すくすく子育て」によると、因果関係や事の経過が理解出来るのは5歳頃からとのことです。リンクを貼りますが、0歳から5歳までの年齢別の上手な叱り方が記載されており、とても分かりやすいので是非ご参照下さい。
きちんと伝わる叱り方とは?~年齢別叱り方のポイント~ | 子育てに役立つ情報満載【すくコム】 | NHKエデュケーショナル
いつまでも過去の事をしつこく言われても、3歳程度の脳では一体何に対して言われているのか理解出来ません。特に叱られた場合は、子供の立場では理由もなく怒られているだけになるので最悪です。
たまに見かけるのですが、子供を叱る際に「ごめんなさいって言いなさい!」としつこく謝罪を強制する親がいます。子供は訳も分からずにひたすら号泣しているにも関わらずです。素直に謝れる子に育てるため、子供の為を思っての事と思いますが、これは悪手でしょう。
子供は何故怒られているのか理解出来てないのに、親からは「ごめんなさいしろ!」との強制ばかり。仮に謝ったとしても、それが一体何になるのか?理由もなく怒られたという恐怖感が身につくだけだと思います。子供が可哀想なのでやめたほうが宜しいかと。
叱るのはともかく、褒めるのは続けても良いんじゃないの?と思われるかも知れません。しかし、過去の行動を褒められても何を褒められているのか理解出来ないので「何故か知らないけど無償で褒められている」状態になります。子供にとっては居心地の良い状態と思いますが…
そうするとその状態を守るために次の行動が抑制されてしまうのではないか、と危惧しています。何か余計な事をすると逆に叱られる可能性がありますからね。保身に走って何もしない子に育つと困ります。
また、あまり過去を褒め過ぎると「じゃあ今はダメなの?」と間逆のメッセージとして受け取られるかも知れません。まあ3歳ではそこまで裏を読まないと思いますが…
実際、うちの娘に「あの時は偉かったねぇ」と言って過去(と言っても昨日とか)の事を褒めてナデナデしても全くピンと来ていないようです。ただなんの理由もなく褒められているだけに見えたので、褒めすぎも危険だなと思った次第です。
なお、4歳以上の子育ては私には未知の領域ですが、因果関係や時間軸を理解出来る年齢になると話が変わってきます。行動の良し悪しについて理屈で理解出来るようになると、過去を振り返っての反省が可能になり、褒められる事が自信になるでしょう。そうなる事が今から楽しみです。
まとめ
・褒めるも叱るもその場ですぐにズバッと!
・そしてスパッと止める。いつまでも引きずらない。
・ごめんなさいを引き出す必要は無し。
Done is better than perfect.
3歳の娘に文字、数字の書き方を教えていますが、なかなか上手く出来なくて困ってます(´;ω;`)
書き方ドリルの最初の方は簡単なもので、鉛筆でただ真っ直ぐな線を引くだけなのですが、ご覧の通りグニャグニャです。
エンピツの持ち方も不安定ですし、そもそもあまり乗り気では無いようでテレビをチラチラ見ながらやってます。ただ線を引くだけなので面白く無いのでしょうが…
そりゃまあ最初は上手くできなくて当然と思ってますよ。書き方なんて小学校に入るまでには誰でも出来るでしょうから、焦る必要なんか無いと… そう、焦る必要なんかない。きっとそのうち上達するさ…
と思いつつも、目の前には上手く出来ない娘…
何度かミスを繰り返すうちに、ついついこう言ってしまったのです。
「真っ直ぐに引けて無いね〜、もう一回やってみようか?」
「テレビ見ないで集中してやろうね〜」
言い方としては優しく言ってはいますが、いわゆるダメ出しをしてしまいました( ̄▽ ̄;)
娘が取り組んだ結果が「正解」ではないからやり直せと指示してしまった。つまり努力の過程ではなく、結果のみを見て叱ってしまったのです。
後で振り返ると、テレビが気になりながらも一応は取り組んでいる姿勢を褒めてあげるべきだったかな〜と後悔しました(´;ω;`)
次第に娘は、線を一本引くたびに「これで合ってる?」と親に確認するようになってしまいました。
これはいかん…
最初から上手くやろうとするのではなく、間違えながらも書くことに慣れていくのが目的なのに、ついつい親が「正解」に誘導してしまった…
完全に私の忍耐力不足でした。このままでは書き方の練習は「親に注意されないように線を引く作業」になってしまう!
まずはグチャグチャでも良いから、出来るだけ自分の力でドリルを最後まで終わらせよう。
ドリルを進めても、どうしても慣れない事があるようなら、その時に初めて注意ではなくアドバイスをしよう。
下手でもまずは自力で終わらせる事が大事。
Done is better than perfect.
同じ過ちをしないようにこの反省をブログに書き残しておきます。
火のないところに煙は立たないが、その火は信じて良いのか?という話
根拠の無い噂話が広まった時に「火のないところに煙は立たない」と良く言われます。
噂話に対して「根拠は分からないけど、きっと何かしらの理由やキッカケがあってこの様な噂が出るのだろう」と考える。身も蓋もない言い方をすると、何も考えずに噂話を受け入れる際に自分を誤魔化すための方便みたいなものではないでしょうか。
たとえば、TVやインターネットなどで「経営者の〇〇さんは社員を怒鳴り散らすなど性格が悪いらしい」とか「芸能人の××さんは金に意地汚いらしい」というような特定の個人を対象とした噂話が散見されます。一応それらしい理由も書いてはありますが、第三者の感想であることが多く事実に基づいたものかどうか不明で、まさに「信じるかどうかはあなた次第」となります。この場合、全く根拠が無いので冷静に考えたら信じるに値しない情報のはずです。
しかし、人間は「意外性」というものに惹かれてしまうため「普段は真面目そうなあの人が噂通りだったら面白いなぁ」とか「儲かっているあの会社がブラック企業だったら面白いなぁ」などという期待が働き、その結果噂を肯定したくなり「火のないところに煙は立たない」の思考が発動してしまいます。またインターネットでは一度噂が立つと、確証バイアスにより結論ありきで噂を補完する様な情報が次々と出てきて、最初は噂話と認識していたものが無意識のうちに事実のように誤認しやすくなります。
確かに「火」(根拠、キッカケ)が無ければ「煙」(噂)が立たないのは、その通りだとは思います。しかし問題があるのは、その「火」が性善説に基づくことを無意識のうちに期待している場合です。つまり「噂」に色々と余計な尾ひれがついてはいるが少なくとも噂の発信元は事実なのだろうと無意識に信じている人が少なからずいるように思います。
でもそれはただの思い込みです。噂の発信元が正当であるかどうかなんて想像ではわかりません。もしかしたら恨みつらみや愉快犯的な理由により当人に不利になる真っ赤な嘘をばら撒いている可能性だってあるわけです。
そんなわけで、結論としてはシンプルというかごくごく当たり前の話になってしまいますが、、、
噂を信じちゃいけないよ by 山本リンダ
ということですね。